のび太はメサコンの徹底で救われるのか ー映画『ドラえもんのび太のひみつ道具博物館』感想

新ドラ映画『ドラえもんのび太のひみつ道具博物館』を見た。

まず、面白かった。過去のドラえもんひみつ道具のルーツや物語を再考・再想起させるアイデア。さらに探偵物語という意匠も加わっており、挑戦的に攻めた一作だ。

中盤、物語の接続に失敗しているように感じ、間延びした印象も受けた。が、その後の後半・終盤はメインテーマ(後述)が大々的に全面展開されていき、その勢いは一般的に評価するなら、見てるこちら側を飽きさせない質の高さがあったように思う。

見ての後悔はない。見て良かった。以下、相当に踏み込んだ批判を行う。それは、良作であったことを前提にしての批判であると思ってほしい。

 

 

この映画を見る際、僕の中でテーマがあった。それは、メンズリブである。

ドラえもんのび太の友情物語がメインテーマだ、と各所で聞いていたため、メンズリブ的にそれをどう読み解くか、という関心で見た。

…結論。ダメだ。メンズリブ的に見て、これではいけないと強く思った。

 

この映画のテーマは、メンズリブ的に非常に興味深かった。友情物語であり、かつ、おっちょこちょいで忘れっぽく、ダメなヤツ同士の友愛の物語でもあった。弱さを抱える者同士の連帯の物語。だから興味深くはあった。あったのだが…。

 

ドラえもんのび太に言う。「キミは何もかもダメだが、いいヤツだな」と。

僕はその言葉が、極めて空っぽに思えた。のび太の美点はメサコン的なところにある、と。つまり、のび太の良さとは、誰かに優しくあろうとする、その一点にあり、そこにしかないのだ、と。

誰かに優しくあろうとすることが悪いとは思わない。しかし、のび太の、その自分の無さが気になる。

 

非モテ男性論が撃つべき問いは、「恋愛対象の異性にしかアツくなれない、そんな空っぽな自分、その閉じた世界からいかに解放されるか」にある。

ドラえもんのび太のこの映画の関係は、先の問いにおける「恋愛対象の異性」が、親友へとすり替わっただけであり、空っぽの自分、その閉じた世界は変わらないように思われた。

 

というのも、この映画の物語自体が、非常に閉じていて、マッチポンプ的に思われたのだ。

博士に失敗した過去があり、再び失敗して危機に陥り、それをのび太たちが救う物語。

…いやいやいや、根底は博士の、成功と名声を求めてしまう支配欲や自己顕示欲にあるのではないのか。

その根幹へは最後まで手つかずのままで、ドラえもんのび太の友情関係へと収斂し、それで物語が終わっていく。それで良いのか、と。

 

また、最初に僕が賛美した点ではあったが、さらに踏み込んで考えると、世界がドラえもんひみつ道具に閉じているところも、この物語に閉塞的な印象を与えることへとつながっているように思えた。

イデアとしては、過去のドラえもんひみつ道具のリメイク・再利用であり、それを超える物語へは挑戦できていない。

探偵物もパッチワーク的に継ぎ接ぎでくっつけた感じで、ひみつ道具の歴史と探偵小説のモチーフが融合されて新たな創造がなされるような瞬間は、ついに見られなかった。

 

ひみつ道具は世界を良くしていく。この映画では、それが前提にある。ここにこそ、もっともっと疑義を呈するような物語に到達してほしかった。この映画のような疑義の呈し方ではヌルい。結末の大円団で、疑義が薄らいでしまう。

科学主義・進歩主義への疑義、というだけではない。宮崎駿が挑戦したような、ドラえもんシリーズがこれまで提示してきた、子ども向けファンタジーへの根底的な疑義に連なる、そんな疑義の提出まで見たかった。

 

だって、そうでしょう? 東日本大震災原発事故。底の見えない貧困・格差社会。現在であればコロナ危機。科学主義をそのまま楽観的に信頼することなんて、とてもできない。この日本社会に生きているならば。

ドラえもんの秘密道具を生み出した科学主義の大肯定・大円団的なストーリーには、だから乗れる気がしない。子ども向けファンタジーだからハッピーエンドにしたのであれは、まさにそこにこそ、鋭い疑義の刃を突き立てるべきだ。宮崎駿はそうしていた。

 

終盤、のび太ドラえもんひみつ道具に頼らず、自らの発想で危機を乗り切る。この展開は唐突過ぎた。ここは丁寧にプロセスを踏みたいところだった。

ラスト。のび太ADHDは、あの物語でケリがつくのか。メサコンによって。メサコンの徹底は、世界を、のび太を、全てを救うのか。

…違うと思う。それでは終わらないとも思う。少なくとも、僕は終われない。終わっていない。

 

弱さと連帯の物語を、こんな程度で終わらせてはならない。全く物足りない。

厳しい言葉が並んでしまったけど、愛を持って、このような解釈を置いておきたかった。

以上は一度映画を見た限りでの感想だ。ADHD、メサコン、友情と、僕にとって冷静ではいられないテーマが目白押しの映画だったため、行き過ぎたり間違った解釈があったかもしれない。いや、間違いなくあったと思う。

他の人の感想を読んだり聴いたり、もう一度この映画を見たりするなどして、もう少し考えてみたい。