まくねがおのとじまり
すずめの戸締まり、視聴終了。
映像は綺麗。音楽はエモく盛り上げようとしていた。
ただ、限界あり。相当序盤からストーリーラインに乗れない。映像と音楽で誤魔化せるのは15分。はっきり言います苦痛でした! 早く終わんねーかなーって思いながら見てました!
色々やりたいこと、伝えたいことがあるのはわかる。でも、とにかく世界観・舞台設定、その観客への導入の仕方が致命的にダメ。なんでもありやん、って思いながらずっと見てました。
緊張感がない。背後の意味を深読みすんのが虚しいよ。色んな何かを込めてるんだろうけど、その前に、最低限の没入をくれ。愛にできることがあるかどうかを問う前に、最低限の映画制作技術が要るよ。
そして、登場人物の描き方と関係性構築プロセスが超雑。初対面でそうはなんねーよ、って展開、シーンの乱打。ずっと乗れませんでした。
日本各地を周りたかったんすね。日本神話のモチーフ、その追体験。かつ、現代の日本各地の衰退、過疎の状況と、でもそこで暮らす人を描きたかったんすね。
…実力不足! あざとい! 見る気が失せます! 誰一人登場人物を好きになれません! カキワリ! ぺらい! 下手!
そして声を大にして巨大なミミズをスーパー大放出するかのように言いたかったのが…、会話!!
会話劇がド下手クソ!!
まじでブルシット!! 台無し!!
言葉が死んでます!!
…おっかしいなあ。秒速、君の名、天気と見てきたけど、ここまで下手な人には思えなかった。
あれか、なんかやろうとしてることがデカいのと、過去作は色んなギミック噛ませて誤魔化したりとか、そういうのが今回できなかったからか。
これまでも会話下手だったけど、でも、今回はなんかさらに高尚なことしようとして、うまーくギミック混ぜ込んだ脚本を組めなくて、会話で説明しちゃう方に逃げちゃって、それでこの醜態が盛大に晒されることになったのかなあ…。
震災の問いは大切だろうよ。このテーマに向き合い、粘り強く作ったんだとは思う。
ただ、これじゃキツイなあ。
映画館は人が埋まってて、隣の人は最後涙ぐんだりしてて。感動した人もいるんだと思う。
でもどうかなー。中盤みんな飽きてたと思うんだよね…。なげー…って多くのみんなが途中で感じたと思うよ。それをうすっぺらいカタルシス装置が誤魔化していく、みたいな映画じゃなかろうか。いや、震災忘れないようにしよう…みたいな社会的意義は、もちろんあるんだろうけどもさー。
でも、新海さん、お前なんなん?と。
震災ネタにして君の名はでビックネームになり、搾取してしまったことに対して、浴びている批判をかわしたい、みたいな動機に思えて仕方ないの。
だって、お前の当事者性は搾取した側、加害者の側のはずで、だったらお前が寄り添うべきは様々な被害者の前に、加害者の側じゃねーの? みたいな疑念はずっとあって。
みんな、誤魔化されちゃダメ、騙されちゃダメだぜ。
…最近、ピクサー映画をずっと時系列で見てきてて。ドライブ・マイ・カーとか、会話も余韻含めうまく作ってる映画も、最近沢山見てきたから、なんか目が肥えちゃってて、厳しく見ちゃってんのかなあ、とも思ったよ。映画全体のリズム、その心地良さ、とかについて、素晴らしい映画を最近連続で見てきたから、それで、なのかなあ…。
とにかく僕は、けっこう序盤からずっと「下手だなあ…」と思って、イライライライラしてて…。後半はもうマジで耐え難かったっす…。
天気の子では、社会的養護の問いに真剣に向き合ってない、って批判的に思って。今回は親族里親の話しでもあるわけで、まあいいよ、天気の子よりは向き合ってる、とは思ったよ。
ただ会話がド下手でねえ…。サダイジン出てきてズッコケて、自転車の会話シーンも下手だなあ…って。
まずさあ、ダイジンですでに中盤から滑ってんだよ。あれでしょ? 善も悪も、その感情の清濁混じり合った象徴、神、それがダイジン、サダイジンだ、みたいな話しでしょ。
あとは、ダイジンは虐待受けた子どもの象徴、みたいな意見も、ツイートで見かけたけど…。
そういう深読みの前に、とにかく、もっとうまくやってくんねーかな。没入できねーよ! そっちの仕掛けで滑ってるから、社会的養護の里親と子どもを巡る大事な問いが、曇っちゃうやんけ! 下手ならやんな! 仕掛け抜きでもっと真正面にやれ!
で、すぐ自転車シーンで回収…。つまんねーなー。なんか扱いが軽いんだよね。全然響かない。なんか余裕がないんだよ、展開に。テンポと間と、映画の中で置かれるシーンのリズムが悪くて、気にいらないわー。技術の問題だけなのかなあ。なんだろなー。
で、恋愛とメンズリブの話しですよ。気にいらない! 何あの男。草太。全然感情移入できません!
そっち行ってどうすんすか新海さん! 違うでしょ、あなたはキモい恋愛的欲望を、国民的作家になった今だから、ど真ん中に据えて攻めないと! 宮崎駿の見習い方がうすっぺらいんです!! いっそ秒速の方に戻って下さい! すぐウットリしない! ウットリしちゃうあなたのその生皮を剥いで! すぐ! マッパになりなさい!(あのじいさんがハッキリキッパリ言うべき対象は、女子高生じゃねーよ! 新海さん含む、この映画の作り手たち!)
主人公は女子高生にしました、男は脇に置きました、はい、ポリコレクリア、からのー…、恋愛ロマンスでみんなの感動、涙、涙でしょ? 泣くでしょ? でしょ?(チラッチラッ …みたいな感じでしたけど…!
…退屈! 退屈!! 退屈!!!
オイ、こいつ、置きに行ってんぞ!!!! 退場!! みんな、解散ー!!!
…君の名は、に対する歴史修正主義批判は意識してる気はして。そしてセカイ系とシャカイ系の両立、統合からの高次元へ…みたいなモチーフも狙ってる気もして。ただ、そういうねらいも、恋愛と男の描き方のレベルの低さが致命的に足を引っ張ってる、と思ってて。
なんかツイート見てたら、当初はふたりの女性を主人公にしようとしてたけど、プロデューサーから、日本じゃ早すぎる、言われて、それで、あの男女カップルにした、みたいな経緯があったっぽいんすけど。
まず、女性ふたり主人公にしても、逃げてるよ。お前ら作り手、男やん。男でやれよ。女性主人公にすんならクリエーター変えろよ。あったりまえの話だよ。
で、結局男も出したわけですけども。まあ、無理っすよね。そんな感じなんすから。なんすか、あの男性たちは。メインはあのスカした大学生たちがモデルってこと? あんな非実在青年たちがメイン? お花畑ー。ダメでしょー。作り手たち、お前ら何やってんだよ。魂込めてこいよ。
ホントきもい。あんな若い、非実在的な、うすっぺらい男たちを物語の中心で絡ませてる作り手たちの、中年男性たちがまじでキモ。ここ、猛烈批判して良いでしょう。もう観客たちで止めようぜ、ああいうの。
作り手たちが選択した大人の男キャラクターは、寝たきりじいちゃんですか。「行っちゃイカンのじゃ!ゴホゴホ…」ゆうて。あれが成熟した大人な男で、「ま、あとは、若いもんががんばりゃ良いんじゃ…」ゆうて昇天するわけですね。作り手たちは。
…無責任!!!! やっぱ前作時点で大丈夫じゃなかったの!! あんなもん作る大人の男たちは、信頼できません!!! 退場ーっ!!!
二回もこの映画は見たくありません。マジで二度とドアを開けないで下さい、ガチャン‼︎(しおしおと痩せ衰える新海さん…。つか、あのネコ、マジむかつくぜ。なんなんアイツ。挑発か? 観客挑発してんのか? 煽ってんか? わあ、かわいい、でも最後また石になってかわいそう…ってなるかーっ!!! 不快だし、作り手に都合が良い。あれが神って笑わせんじゃねーよ。神はてめーの都合の良い道具じゃねーぞ!! 要石だった猫がもっかい要石んなって、あの男女が付き合いました、おわり。…って、のろけばなしか!! 質の低いのろけを全国ロードショーでやんなバカヤロウ!!!)