狂気の自助へ② -映画『サウルの息子』感想中編

(①からの続き)

 

映画『サウルの息子』の物語の、もうひとつの導きの糸。サウルの「息子」埋葬をめぐる格闘の行く先へも、視線を移していきたい。

 

主人公のサウルは、ある男の子の顔を見て、その少年が自分の「息子」であると確信する。その少年は物語の冒頭、ガス室で瀕死ながらも生き残っていたが、その後あっさりとナチス将校にとどめを刺され、殺されてしまった男の子だ。

 

サウルは、その「息子」の遺体を隠す。そして、ユダヤ教の聖職者である「ラビ」を探して、多数の収容者の中から見つけ出し、そのラビが殺されないように匿う。ラビに立ち会ってもらい、埋葬のための宗教上の手続きを踏もうとする。大混乱の中で、なんとか地面に埋葬用の穴を掘ろうとする。このようにして、サウルはひとりで「息子」を埋葬しようと悪戦苦闘するのだった。

いずれも、異常な行動だ。サウル(…に限らず収容者の全員)は、常にナチス親衛隊の監視下にある。「息子」埋葬のための上記の行動は、どれも常にリスクがあった。発覚すれば、確実に殺されるリスクが。

当たり前だが、「息子」を埋葬できたところで、サウル自身が「死」から逃れられるわけではない。しかしサウルは自らの、そして他の同朋・仲間たちの危険さえも、基本的に顧みることはなかった。そうしてただひたすらに、「息子」を埋葬しようとした。

(ただ、サウルの行動には、微妙な揺れもあった。「息子」埋葬がサウルの至上目的だったのは間違いないが、請われて反乱の手助けにも手を貸したりしていた。仲間たちが同胞ユダヤ人の解放を夢見て、反乱を企てる動きに、サウルも協力していたのだ。しかし、サウルは反乱のための準備行動の最中も、常に「息子」埋葬に気を取られ、そちらの方へと引っ張られてしまう。結果的にサウルの行おうとした準備行動(火薬の運搬)は、失敗して無為に終わってしまう。サウルの行動は、極めて中途半端だった。きっとサウルは、反乱を企てる仲間たちから、以下のように見えただろう。狂ってしまい、役に立たない男。気もそぞろで、漂うようにしか行動できない、正気が疑われる男…)

 

しかも、サウルがそうまでして追い求めてきた「息子」埋葬という至上目的も、結局は失敗に終わってしまう。

反乱に伴う大混乱の中、収容所を脱出して川を泳いで逃げる最中に、サウルは力尽きて、それまで必至に守り抱えてきた「息子」の遺体を手放してしまう。そのまま遺体は、川に流されてしまうのだ。

その後のサウルは、魂が抜けたように逃走路をとぼとぼと歩いていく。

 

そして、問題のラストシーンである。

森の中の逃走路の途中に、たまたま無人の小屋があり、5分だけ休むために、仲間たちは小屋の中に留まって、隠れる。

「もう少しでレジスタンスと合流できる、そこで銃を取って闘おう」。

休んでいる最中、絶望的な状況で、生きる希望を失わないように励ます、仲間たちの声が聴こえる。

そこに、外遊びの途中で迷い込んでしまったのだろうか、金髪で白人の男の子が小屋の入り口を覗き込んだ。

そのことに、たまたま、サウルだけが気づく。サウルは、その少年を見て、何も言わない。行動もしない。

ただゆっくりと、サウルの表情に笑みが浮かぶ。

 

…これで、『サウルの息子』の物語はおしまいだ。逃走も失敗し、小屋の中にユダヤ人たちが隠れていることはナチス親衛隊にバレてしまって、銃声が響く。そしてサウルともども、強制収容所に囚われていた人々はほとんど全て死んでしまう、そんなことを暗示させるシーンが、最後にさりげなく置かれるだけだ。

僕は見終わって、キョトンとしてしまった。『サウルの息子』という物語は、いったい何を伝えたかったのだろう?  

 

まず、先の記事で書いたように、『サウルの息子』はエンターテイメントとしての作りを拒絶していた。

僕も見終わった直後は、疲労感とキョトンとした感じで、何となく呆然としてしまった。

しかし恐らく、これは映画の作り手のねらい通りなのだろう。

強制収容所で実行された虐殺という「事実」、それを見ることを、心地よく終わらせて良いはずはない。疲労感は、むしろそのまま感じれば良い。

そして、一見して分かりにくいことも、この「事実」に踏みとどまらせようとする、物語の作り手の意思によるものではないか。

確かに気になる。映画の物語を、遡って立ち止まり、あれこれ考えたくなる。

 

まず、サウルの最後の笑み。

あれは、少年に笑いかけたようにも見えるし、自然に自分に浮かんでしまった笑みのようにも見える。

思い返すと、映画の中盤、サウルは自分の「息子」の遺体にかけられた布を外し、その表情を見るたびに、非常に微妙ながら、表情を緩ませていたようにも思える。

 

他の全てのシーンでは、サウルは基本的に無表情だ。

映画の全編に渡って、ショットはサウルの表情に接近していた。自らの死への恐怖や、焦り、戸惑いが一瞬浮かぶことはあっても、サウルが表情を緩ませるような気配は、ラストシーン以外では、「息子」の顔を見たときしかなかった。

(やや関連して、サウルがある女性と接触するシーンのことも、非常に気になる。そのシーンではサウルの眼差しが一瞬、情熱的に燃え上がったようにも見えた。が、それもほんの一瞬で、すぐに元の無表情・無関心に戻ってしまう。以下で息子の真偽とラストシーンに関する僕の解釈を述べる途中で、そのことについても軽く触れたい)

 

そして、議論の急所は、サウルの「息子」は、本当に彼の「息子」なのか?という点だ。

映画の中盤、サウルのことをよく知っていると思われる、ゾンダーコマンドの同僚が、サウルに対して「お前に息子はいない」と述べていた。

ここは、映画を見ていた僕が、ぼんやりとだが、ずーっと気にかかっていたところだ。

 

ゾンダーコマンドの同僚が、「お前に息子はいない」と述べるシーンは、確か二箇所あった。

二度目のときは、サウルが先に、まず弁解するかのように、「実の妻との間ではない子どもが、俺にはいるんだ」と述べていた。しかしその言葉を聴いても、同僚はあらためてサウルに確かめるように、「お前に、息子はいない」と答えていたのである。

ここは、象徴的なシーンなのではないか。

 

あえて整理してみる。「息子の真偽」については、以下の二通りの解釈ができる。

ひとつめは、サウルの「息子」とは、本当に血のつながったサウルの息子である、という解釈だ。

サウルの息子』の物語は、「親子の愛」の物語としても読み取れる。極限状態、父を支えたのは、息子への愛だった…。そんな、家族愛の物語。

この解釈では、サウルは正気だったということになる。実の息子を、死後はせめて人格的に扱いたいと願い、そうすることで、サウル自身も強制収容所の中で人間的であろうとした。

そんな理路で考えるなら、サウルは正気を保ったまま、息子の埋葬に奔走した、ということになるだろう。

しかしこの解釈では、ラストシーンの意味がよく分からない。

また、これを言っては元も子もないのだけど、この映画の作り手がインタビューで、「脚本上は最初、サウルの「息子」を本当の実の息子として設定していたが、それを制作途中で変更することにした」と語っているらしい(参考:宇多丸サウルの息子」の感想を語る シネマハスラー https://youtu.be/DTa-5ucdiqU)。だから、この一つ目の解釈は間違っていることになる。

 

ならば、もうひとつの解釈を取るべきだろう。そして次のようにサウルの「息子」の物語を読み解くべきではないか。

サウルの「息子」は、血のつながったサウルの息子ではない。

サウル自身が、自分を助けるために、幻想の「息子」を作り出した。サウルは、自分を助けるようにして「息子」を作り、その「息子」を埋葬せんとして、駆り立てられていたのだ、と。

 

先述の通り、同僚がサウルへ、「お前に息子はいない」と二度も発言していたことは、この解釈を取る根拠の一つになり得る。

だが、もっとも大きな根拠は、やはりラストシーンにある。

最後に小屋へ迷い込んできた、あの子どもは、金髪の白人の男の子だった。もはや黒髪でもなく、自分の「息子」と思いこめるような存在からは遠くかけ離れていた。

それでもサウルは、あの少年を「息子」として見た。それで、自然に笑みが浮かんだ。僕は、そう解釈したい。

サウルは、自分を助けようとして、最後の最後まで「息子」を作り続けたのだ、と。それほどの力が、サウルにはあったのだ、と。

 

しかし、サウルの最後の微笑みは、自身や仲間の命を失わせることにつながったのかもしれない。

サウルは笑みを浮かべただけで、その男の子を見送ってしまう。あの男の子はそれで小屋から走って出て行き、その後、ナチス親衛隊の追っ手に発見される。追っ手はすぐに、あの男の子が走ってきた先へと向かっていった。そのことによって、サウルらは全員殺されてしまった、と見ることも可能だ。あそこでサウルが声を上げていれば、ナチス親衛隊の追っ手に見つからずに済んだかもしれないのだ。

サウルが幻想の「息子」を作り出すことは、自身や仲間の命を救うことにはつながらなかった。むしろ、命が奪われることにつながったのかもしれない。

しかし、そうであってもなお、あれはサウルが自分を助けようとして、駆り立てられて顕わになった自助の営為として見るべきではないか。そんな直観が僕にはある。それはいったい、どういうことか。直観を、少しずつ言葉にしてみたい。

(③へ続く)

狂気の自助へ① -映画『サウルの息子』感想前編

映画『サウルの息子』を見た。http://www.finefilms.co.jp/saul/

 

物語の舞台は、ナチスドイツの運営する強制収容所。そこは、ユダヤ人を集め、管理し、虐殺する場所である。

強制収容所で実行された空前絶後の大虐殺。この「事実」の物語が、映画『サウルの息子』だ。

主人公(サウル)もユダヤ人であり、サウルは強制収容所にいる他のユダヤ人たちを殺し、その死体の後片付けをする「処理」係(ゾンダーコマンド)のひとりである。

サウルらゾンダーコマンドも、時が来れば結局、同じように殺される。ナチスドイツの大虐殺の「事実」をなかったことにするために。もちろん、逆らっても殺される。「死」は早いか少し遅いかでしかない。それを分かっていながらも、同胞たちの「処理」の仕事をせざるを得ない。

そこには、周りにも先にも、「死」あるのみ。収容所における極限状態の生活。未来に何の希望もなく、末にあるのは徹底的な抹殺と消去である。まさに、地獄。

そんな中、サウルは、ある子どもを見て、あれは自分の「息子」だ、と語り出す。

その「息子」とは、本当にサウルの「息子」なのか?

サウルは狂っているのか?  それとも正気なのか?

「事実」から、「死」と、そして「狂気/正気」を問う。

 

…こんな物語が映画『サウルの息子』だ。以下、ネタバレありで、書きながらこの映画の物語のことを考えていく。

というのも、映画視聴後、「なんだったんだ、これは…」というモヤモヤ感が僕の中で消えてくれないからだ。書きながら、僕なりに思うことを言葉にしていき、ゆっくり考えていきたいと思う。

 

なお、なぜ僕が映画『サウルの息子』を見ようと思ったかというと、宇多丸さんの映画時評を聴いたからだ。

 

宇多丸サウルの息子」の感想を語る シネマハスラー https://youtu.be/DTa-5ucdiqU

 

ナチスドイツの強制収容所を映画として描くことについては、これまでも色々な議論があったという。

エンターテイメント映画として、強制収容所であった虐殺という「事実」を消費して良いのか。こんな論点があることを、宇多丸さんの映画時評を聴いて知った。

つまり。あの悲惨な「事実」に、僕たちは、いったいどう向き合うべきなのか。そんな問いがまず、目の前にはあるはずなのに。

エンターテイメントとしての消費は、死者を感動のネタに使う、死者の冒涜ではないのか。それは生者が、あの過去の「事実」と向き合うことから眼を逸らすことにつながるのではないか。それは果たして、倫理的に許されることなのか。

そんな鋭い批判が、これまでにもあったのだという。

映画『サウルの息子』は、こうした批判に真正面から向き合ったものだ、と映画時評で宇多丸さんが解説していた。

それで僕は、この映画を見てみようと思ったのだった。

映画とは、物語とは、エンターテイメントとは何なのか。そのことを考えてみたくて。

 

僕がこの映画を実際に見てみると、最初から、あまりにも強烈に、悲惨すぎる「事実」が描かれていて、圧倒されてしまった。

それは、グロ描写などではなかった。

むしろ、ハッキリとは映さない。見ている側を想像力で戦慄させ、心底恐怖させるような描き方がなされていた(次の動画も参照)。

 

町山智浩サウルの息子」早くも2016年ベスト! たまむすび https://youtu.be/j0YDv0GsR5E

 

ドンドンと必死に壁を叩く音。壁越しにかすかに聴こえる悲鳴、叫び声、絶叫。長い時間が過ぎて(ガス室のガスは薄いもので、即死できない。10分近く苦しめられて死に至る。…その残酷さ!)、末期の声も失われて全てが終わったのだろう、次のシーンでは、ガス室の中を掃除するサウルらの姿があり、その視界の端を横切っていく肌色の「もの」、赤色や黄土色の汚れ。それらを淡々と「処理」していくサウルたち…。

 

覚悟して見始めたのだけども、映画開始直後から、トップスピードで非常に苦しかった。

本気でこの強制収容所の状況を想像しようとしたら、苦しすぎて気分が悪くなりそうで。

視聴開始してすぐ、僕は、ある程度心のスイッチを切り、客観的・乖離的に目の前の映像を見ようと思い始めた。

そうしながらこれは、主人公のサウルに近い姿勢だな、と思ったりした。

 

この映画では基本、サウルから見た視点でのカメラワークで物語が進行していく。そのカメラ≒サウルの視界は、周囲へ視点を合わせないようになっていて、その視界のほとんどが、ぼんやりとぼやけるようになっている。

今の周囲も、また将来も、あまりに悲惨なことしかあり得ないと思える状況のとき。人は、なるべく周りに眼を向けないように、視野を狭窄的にして、様々な関心も閉じ、過ごしていく他なくなるのかもしれない。

スイッチを切って、目の前のことを無関心・無感情で、淡々と「処理」する他なくなるのかもしれない。

 

…さて。

物語の流れとしては、冒頭の強烈なシーンをインパクトとして、ずっと恐怖感が持続していくような作りになっていた。

途中、実は主人公ら「処理」係たち≒ゾンダーコマンドたちは反乱を企てていることが、見ている僕らにも分かってきて、それが物語終盤の山場にもなっていく。

 

この映画の物語の導きの糸は、以下の2本だ。

1本目は、このゾンダーコマンドたちの反乱をめぐる糸。

2本目は、サウルが自分の「息子」を埋葬せんとして格闘する糸である。

 

途中、サウルが都合よく助かりすぎではないか、と思うような展開も、いくつかあった。

しかし、そんなことは見る側の僕にとっても、作り手にとっても、どうでも良かったのだろうと、今になって思う。

サウルの息子』は、エンターテイメントとしての作りを拒絶していた。

物語を先取りして言うと。サウルは物語中盤では命を長らえるが、物語の結末では、結局命を失ったのだろうと予感させるような作りになっている。その結末も、悲劇的なカタルシスを直接的に得られようなものではないと感じた。

サウルが物語中盤で助かるのも、その後何らかのカタルシスを観客に得させるのための、ご都合主義的な設定操作ではなかったように思う。

納得いくように物語を作り、観客を気持ちよく興奮させるような作りは、強制収容所の「事実」を取り上げる以上、やってはならない。それは「事実」を消費させ、冒涜し、見る側が「事実」と真に向き合うことを避けさせる。

そんな行為は下手をすると、この「事実」が再び起こることを、助けることにもなりかねない。

だからこそ、この物語は、悲劇的カタルシス・その興奮とは別の何かが湧き上がるよう、観客へと呼びかけているはずだ。そのためにサウルは、物語中盤で生き延びることになったのだろう。

この別の何か、とは、見る側が「事実」と真に向き合うことであることは、まず、間違いない。

そして、強制収容所の虐殺の「事実」と真に向き合ったとき、その先に、いったい何が見えてくるのか。この映画の物語の作り手は、「事実」と向き合う過程で、いったい何を見たのか。そこまで、僕は知りたい。

この物語が呼びかけている何か、その奥深いところを、僕は知りたいと思った。

 

議論の急所は、「息子」の真偽とラストシーンにあるはずだ。次回以降の記事で、そこに迫りたい。

 

 

この記事の最後は、僕のちょっとした寄り道・迷い道で終わりにする。

 

僕自身のこの映画の視聴中の感情の流れを言うと、冒頭に強烈なインパクトがあり、ずっと恐怖に慄いていたが、後半では、やや退屈さも感じていた。

エンタメを拒絶する作りの物語と、その極限状態を見続けたことによる疲労のせいだろう。

ただ、後半は疲労と退屈さを感じつつも、このような物語を見ることができて、不思議と、なんだか救われたような気持ちにもなっていた。

 

安易に一緒にしてはいけないのは当然なんだけど、僕たちも形を変えた「強制収容所」にいるのではないか、という言葉が、何となく頭に思い浮かんできたのだった。

暴力を受け、もしくは暴力に手を染め、しかし自分の力では逃れられない境遇にあり。そんな世界をとことん描いてくれている。それをこうして、外から見ることができているありがたさを、映画を見ながら、じんわりと感じたりもしていたのだった。

 

ただし、強制収容所は文句なく自力では逃れられない境遇であり。それに比べて僕は、自分の意思と行動次第で、その境遇から解放され得る(…のではないか?)。そもそも、あのような直接的で膨大な、悲惨過ぎる「死」ばかりの世界からは、僕の住む世界は遠くかけ離れているわけで。そんな大きすぎる違いも、もちろん感じてはいるのだけど…。

 

このようにすぐに、自罰的に感じてしまう自分も、自己責任的でダメなのかな、と思ったり。

一方で、強制収容所で殺されたユダヤ人の方へ、自他の区別を無くして接近してしまう僕の危うさ(≒僕が接近すべきは、ユダヤ人の方ではなくマジョリティ側、すなわちユダヤ人を迫害・虐殺する決定を下したナチスドイツの最高執行部や、例えばアイヒマンのような、その命令を実行した人々、そして、それを陰に陽に後押しした大衆、そんな彼ら/彼女らの方ではないのか?なのにむしろ、その逆の方へと自然に接近してしまうことへの危険性)こそ、ダメなのかな、と思ったり。

 

うねうねと、そんなことを思い、考えたりもしている。

(②へ続く)

寂しさと、共に笑い合う町 -映画『ひいくんのあるく町』感想

ドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』を見る。http://hikun.mizukuchiya.net/


舞台は山梨県の小さな町。知的障害の男性「ひいくん」が、町の中でいきいきと生活している様が描かれていた。

 

 

この映画は、言葉ではあまり説明しない。映像によって、様々な事象を豊かに表現する。


田んぼの水面にうつる、空の景色。

町を黒と橙の切り絵にするような、夕暮れ時。

入り口からの強い日差しに、眩しく照らし出された、昔の面影が残る店内。

歩く「ひいくん」と共にある、商店街の通りや数々の路地の佇まい。


町民が描いた水彩画の絵や、「伯父さん」が撮った写真は、昔の町の様子を示してくれる。その静止画と重ねるようにして、同じ場所の今の様子を、カメラの映像が映し出していく。


手法はきっと、どれも基本的なものなのだろう(僕は映像表現に詳しくないので、テキトーな想像だけども)。そこで捉えられた数々の映像に、僕は美しさを感じた。派手さや衒いはない。素朴な、その町の、そのときの、そこではありふれているのだろうが、常にすでに美しい瞬間。

 

 

また、僕はいま、知的障害の方の介助の仕事をしているのだけど。

その経験とも重なって、色々思うこともあった。


僕の働く職場は、僕が生まれ育った町、札幌の中央区に位置していて、その地域で暮らしている障害のある方々(メンバーさん)が、僕の働く施設へと通所してくる。

僕のいる通所施設は、なるべく地元の地域へとメンバーさんが出ていけるようにする、そんなコンセプトを持っている。だから午前の仕事の時間も午後のレクの時間でも、メンバーさんと共にスタッフである僕たちも、せっせと地域へ繰り出していく。

すでに20年近い実践の蓄積もあって、施設のご近所の方々との、暖かい付き合いはある。施設から歩いてすぐの小さな公園では年に一回、町内会の方々と一緒にお祭りを開いていて、障害のある方もない方も、自然に一緒に時間を過ごすような機会もある。

だから、この映画を見て、僕の職場で出会う光景と近いものも感じた。感じたのだけど…。


やっぱり、大きな違いもあって。

ひいくんも、ひいくんに関わる町の人たちも、そこではまったく構えていないのだった。

町の人々は、立ち寄ったひいくんに、やれる仕事をお願いしたり、世間話やちょっとしたやりとりを交わしていく。僕の職場から見える景色よりも、もっともっと自然に、日常の延長線上で共に暮らしている感じ。それに比べると、僕の故郷の地域は、より明確に境界線が引かれている。健常者と障害者との、暮らす世界を分かち断つ、その分断線が、くっきりと。

札幌という都会の町にいて、すっかり「福祉サービス」感覚に慣れた僕の心は、映像によって解きほぐれるようだった。

こうやって、分離・隔離もされず、障害のある人々が町の人々と自然にやりとりできさえすれば。きっと、家族内や施設内で押し込められて生ずる数々の苦痛・苦境や悲劇も起きないのだろうし、介助者のバーンアウト・定着困難や早期離職、人手不足も起きないんじゃないだろうか。

僕はそう思ったし、この映画を見た人は、誰もがそう感じるんじゃないか。そんな自然なインクルーシブを感じられる光景を、映像で実際に確認できて、なんて力のある映画なのだろう、と心の中で唸ってしまった。

 

 

この映画は、理想的な側面ばかりを切り取っているわけではない。現実を静かに映していく。

映画中盤、ひいくんと同居する母親や姉の語りの場面がある。自分たちが見れるうちはギリギリまで、ひいくんとこの町で生活したい。が、どうにもならなくなったら、ひいくんの施設入所も考えている。それは今に始まったことではなく、ひいくんを施設に入所させるか否かの葛藤は、以前からもずっとあった。そしてその葛藤は、いまも現在進行形で持続していることが、その語りから分かってくる。


この町が理想郷なわけでもまったくない。障害者や要介護者に差別的で、健常者中心主義的なこの社会では、確実に存在してしまう矛盾。それは他の町に住む人々と同様に、ひいくんや家族たちを常に引き裂き続けていたのだった。

 

 

そして、この映画の最も凄いところは、「伯父さん」のドキュメンタリーと、ひいくんのドキュメンタリーを交差させていく終盤にある、と感じた。

「伯父さん」とは、映画監督の実の伯父さんであり、この町でずっと電気店を営んでいた男性のことである。30代の写真の中の伯父さんの顔は、いきいきとして元気に溢れ、働き者だったという語りを何よりも雄弁に裏付けてくれる。

しかしその伯父さんも、数年前に脳梗塞を発症し、今では認知症を患っている。電気店は閉めざるを得ず、伯父さんはいま、リハビリに励んでいる。そんな伯父さんの今の様子を、カメラは映しているのだが、僕はまず、そこに悲哀さを感じなかった。伯父さんは映像の中で、苦しそうにリハビリに励む様子こそ見せるが、趣味の写真について妻と共に(…というか、妻が中心に)語っていたときの伯父さんの表情などは、とても穏やかにも見えた。伯父さんは静かな余生を過ごしているのかな、という程度の感覚しか、当初の僕は抱いていなかった。


その僕の感覚が思い違いだとわかったのは、伯父さんが堪え切れず涙を流すシーンでのこと。

伯父さんの弟が、町の商店街の仲間に呼びかけ、1日だけ電気店のシャッターを上げ、店開きをしてみることになった。

伯父さんの弟らは、その電気店をフリースペースのようにして、町の集いの場にし、伯父さんにもかつての元気を取り戻してもらおう、そんな思惑を持っているようだった。

ただ、伯父さんの弟も商店街の仲間たちも、みんな伯父さん本人の様子を、何よりも気遣う様子を見せていた。


負担になるかい?

今日、シャッターを開けて、大変だった?

フリースペースのことは伯父さんのためになれば、と思ってのことだから、負担になるんだったら…。


伯父さんは、しばらく口ごもっているような様子だったが、仲間たちとやりとりするうちに俯き、ついに涙を抑え切れなくなる。

(このとき、商店街の仲間の女性が横で軽口を叩き続けているのも、なんとも言えず良いシーンだと思った。場が湿っぽく、重くなり過ぎないようにする、自然で素朴な配慮なのだろう)


認知症後の伯父さんの生活は、やはり寂しいものだったのだ。あの涙はもちろん、弟や仲間たちの暖かい気遣いが嬉しかったこともあるだろう。しかし、それだけでもないのだと思う。認知症となり、身体も衰え、活躍できる場が失われた。かつてあった、町の人々との交流機会も著しく減った。そのことへの、痛いほどの寂しさ。伯父さんの落涙で、僕はその寂しさを痛感した。


伯父さんは、電気店を営んでいた頃、町を歩くひいくんと頻繁に交流していた。なんの打算もなく、自然に。それが電気店閉店後は、ひいくんと会うこともなくなり、全く交流しなくなってしまった。ひいくんとの交流機会は、伯父さんがこの町の人々と盛んに交流していた機会と、パラレルの関係にあったのだった。


映画は終盤で、ひいくんと伯父さんが久方ぶりに言葉を交わす瞬間を捉える。町は、若者が出て行き、高齢者ばかりになりつつある。店も潰れ、衰退しつつあることは紛れも無い。しかしこの町は、ひいくんを自然に包み込んできた歴史があり、それは町の人々と、何よりもひいくん本人が成し遂げてきた蓄積だった。それを映像は確実に掴んでいた。

 

 

伯父さんが要介護状態になって以降、実はずっと直面していた痛みと寂しさ。圧し殺していたその問いが、露わになる瞬間があった。それはきっと、少子高齢化の日本社会の各地で生じ得る事態だ。

この映画の映像から、各地で問いを露わにして、それを開いていけないだろうか。


渡邉琢さんが書いた本、『障害者の傷、介助者の痛み』。

その中に、障害者介護と高齢者介護を交差させる考察がある。

 

「よくよく考えれば、今の介護保険に見られる問題点、たとえばサービスの絶対的不足、施設偏重、家族介護前提、本人不在というのは、何十年も前から障害者たちが直面していた問題と同じと言えば同じであろう。

いや、障害者のおかれた状況は今の高齢者のおかれている状況よりよほどひどかったであろう。少なくとも高齢者は、そこそこまわりの人に承認されてきた人生を生きてきた後、人生の終わりの方で今の問題に直面するのに対して、障害者は生まれたときから、社会のメインストリームから外され、その問題に直面してきたわけだから。

家族介護前提、介護殺人、介護心中、施設増設、地域サービスの不在というのは三〇、四〇年前に障害者たちがその人生の初めから直面していた問題であった。それを突き破っていったのが、障害者の自立生活運動(あるいは障害者解放運動、介護保障運動)だったわけだ。現在、介護保険に比して障害者福祉制度が充実しているのには、障害当事者による長年の運動の歴史があったからである。

とすると、現在の高齢者介護の状況を打破するポイントは、「高齢者介護保障運動の可能性」いかんにあるのではないか。

介護保険制度そのものは、地域でいつまでも生き続けたいという高齢当事者の思いからつくられたものではない。障害者福祉制度だって、もともとは当事者不在でつくられていたものだが、運動によって少しずつ、当事者たちの声が制度に反映されるようになってきたわけだ。

厳しい高齢者介護の現状をいくらかでも改善していくものとして、高齢者介護保障運動の可能性は、どれくらいあるだろうか?」

(渡邉琢(2018)「障害者介護保障運動と高齢者介護の現状」『障害者の傷、介助者の痛み』p.254-255)

 

 

先日僕も参加した、札幌のメンズリブの集まりでは、中年男性の健康問題と、親の介護の問題のことが話題に上がっていた。いつかこれらの問いを、当事者として語り合おう、という話しにもなった。


介護をいつか受ける、未来の当事者として。


息子として介護する、未来の当事者家族として。


僕がたまたま出会った障害者介助の世界からも学びを得て、それらを混ぜ合わせるようにしながら、この町で暮らす人々と、豊かな語り合いの機会を持っていきたい。僕たち自身の問題≒問いを開いていくために。そして、次の世代にバトンを渡していく第一歩として。ゆっくりぼちぼち、とぼとぼと。

 

 

昨日の映画観賞会は、友人同士の集まりとして開かれた、とてもささやかなものだったけれど、しみじみ良かった。

老若男女、障害のある人もない人もいる、ごちゃまぜの空間。

小さな子どもの人もいて、自由に遊んでいた。そこには、笑顔がたくさんあった。

 

安易に希望を見出すのは危険だけど、深刻に考えるだけになるのも、違うと思う。

 

語り合ったり、言葉はなくとも共に時間を過ごしたりしながら、基本は笑い合ってこの町で暮らしていきたい。ごちゃまぜの、ごった煮の空間として。あの映画の映像の中で、伯父さんも仲間たちも、子どもたちも、ひいくんも、そうしていたように。

 

 

素晴らしい映画を見る機会を与えてくれた、みさきさん、きよさん、ゆうほさんに、次の言葉を伝えたいです。本当にありがとうございました!

「迷惑」とは何か -ドキュメンタリー番組「母から娘へ」感想

1.問い

安積宇宙(あさか うみ)さん、安積遊歩(あさか ゆうほ)さんが出演するドキュメンタリー、「母から娘へ」(NHK教育テレビハートネットTV』2019.7.23放送)を見る。

番組は、相模原障害者殺傷事件が導入となり、宇宙(うみ)さんのフリーハグの取り組み(=路上で道行く人々にハグを呼びかけるもの)の映像から始まる。

生まれる前から障害があることは分かっていた宇宙さん。障害があること。誰かの助けが要ること。そんな存在は、生まれてきてはいけないのか。「迷惑」をかける人は、この社会で生きていてはいけないのか。相模原障害者殺傷事件は、宇宙さんや他の障害を持つ人々へ、本来は問う必要もない、問いとして提示すべきですらないはずの、あまりにも理不尽で過酷な問いを突きつけることとなった。

フリーハグの取り組みは、自分と他者が信頼し合えることを、触れ合うことでまず、確認させる。殺伐とした社会のイメージを緩ませるように、人が人として出会い、触れ合えることを実感できる。そんな営為が、フリーハグなのだろう。

 

2.差別

番組の中では、遊歩さんが結婚したいと願うパートナーの、その母と始めて会うときに、拒絶されることを恐れてガタガタと震えた、というエピソードが紹介されていた。遊歩さんは以前、お付き合いしていた男性の母から、「別れなければ家に火をつける」と脅され、その男性と別れざるを得なくなった、そんな過去があった。同じようにまた、最愛の人の母から、何か拒絶されるようなことを言われたら。その恐怖で、遊歩さんはガタガタと震えたのだ、と。

遊歩さんはその後、パートナーと結婚することとなり、宇宙さんが生まれる。遊歩さんのパートナーさんの母、つまり遊歩さんの義母の、過去を振り返る語りには、当時の壮絶な葛藤の跡が滲んでいた。差別がいけないのは分かっていた。しかし、実の息子の人生を思うと、差別的な気持ちがどうしても消えない。

遠いどこかの世界の話として、差別があるのではないのだ、きっと。ミクロな生活当事者の場面でこそ、差別は顕現する。実生活を過ごす我が身へ、具体的に訪れるものとして、差別はある。

遊歩さんの義母は、自らの差別意識と向き合い続ける。遊歩さんが宇宙さんを出産する直前、義母は病院に現れ、遊歩さんを励ます。遊歩さんの目から、涙が溢れる。壮絶な映像。言葉を失った。

 

3.声

遊歩さんは、自身の幼少期、声を聴いてもらえなかったのだと言う。障害者解放運動に出会い、初めて自身の心の声を抑圧しなくて良いことを知った。遊歩さんが実践しているピアカウンセリングは、障害を持つ人の声を徹底的に聴こうとする。子どもの頃の自分を救い、その声を聴こうとするかのように。

自身の抑圧された過去に気づき、自身の内なる子ども(インナーチャイルド)・内なる若者(インナーユース)に対して応答しようとする。それは、自身を救い、また、社会で同じように苦しんでいる人を救うことにつながる。ラディカル(社会変革的で根源的)な実践や運動をしている人は、みんなそのようなプロセスを辿っている気がする。

宇宙さんと遊歩さんとの対話も印象的だった。宇宙さんは、遊歩さんのように怒れない、と言った。遊歩さんは孤独の影を背負っていて、怒ることで人との関係が切れてしまい、独りになったとしても仕方がないと、どこかでそう思っているように見える、と。遊歩さんは、それらの見立てを否定しなかった。時代がそうだったのだ。あまりにも理不尽で、孤独だった。怒るほかなかった、変えるためのアクションを取らざるを得なかった、と。

僕は、宇宙さんと自身を重ねられるような立場にはいないけど、誰かを怒ることが苦手な点では似ていると思い、モヤモヤと考えた。孤独になることも怖い。しかし、目の前の理不尽をやり過ごしてしまいたくもない。

怒りが、僕にはよく分からない。とりわけ、自身が踏みにじられることの怒りが。でも、怖さはよく分かる。僕は、いつも怖がっている。まずは、怖さを感じ切りたい。そんな臆病な僕から始めたい。そう思った。

 

4.僕

相模原障害者殺傷事件の犯人は、事件後も障害者差別の気持ちが消えていないと、ある記事を読んで知った。優生思想・能力主義の価値観の中で、自身が使えない存在ではないかと悩み、苦しみ、社会から逸れ、ついに障害者を殺傷するに至った犯人。社会に「迷惑」をかける存在を消去することで、社会の役に立つ「何者」かになれた。犯人は、今でもそう思っている。

他人に「迷惑」をかけてはいけない。能力がほしい。強くありたい。優れてありたい。そう思う自分は、あまりにも強固だ。僕もいま、障害福祉の仕事をしているけど、能力主義的に考えてしまい、落ち込むことばかりだ。

この前、プールの着替えを手伝っていたメンバーさんから、僕のたどたどしい介助のせいで怒られてしまった。介助がないと着替えられない、そんなメンバーさんのこれまでとこれからを、そして、そんなメンバーさんの介助をしている自分を、あれこれと考えながら番組を見たりもした。

僕にも、まだまだ、他者への信頼感が足りない。職場で、誰かの力を借りることができない。自分でやろうとしてしまう。

 

5.「迷惑」

僕の内側にある、「迷惑をかけるな」という言葉。これを、粉々にして、すっかり無くしてしまいたい。でも、できない。どうしても湧いてくる。なんて根強い言葉なのだろう!

この社会では誰でも、「迷惑をかけるな」と言われ続けて生きていく。周りの大人から、社会から。社会から「迷惑をかけるな」と言われ続けてきた大人に、僕は育てられてきた。だから、当たり前なのだ。「迷惑をかけるな」という内言があまりにも強固なのは、きっと長い長い歴史の蓄積があるからなのだった。

「迷惑をかけるな」と脅迫されてきた、僕の内なる子ども、僕の内なる若者に、応答しようとするならば、どんなアクションに至るのだろう?

相模原障害者殺傷事件のあの犯人が、自身の内なる子ども、内なる若者へと真に応答しようとするならば、どんなアクションに至るのだろう?

「迷惑」をかける人は、この社会で生きていてはいけないのか。この文章の冒頭で提示された、この問いは、本来は提示すべきでもない。問うまでもない。助けが要らない人などいない。馬鹿馬鹿しい。そう否定し、一蹴すべきなのだろう。

しかし、この問いを生きてしまった犯人がいたし、いまもいる。僕はどうか。他の人はどうか。いま、仕事で共に時間を過ごすメンバーさんたちは。同僚たちは。少なくとも僕にとっては、あの声を否定する前に、葛藤が要る。そんな気がする。

葛藤しながら日々を過ごす。そんな僕らを、大切に尊重したい。そして、様々なプロセスの中で、自身の問いと格闘しているメンバーさんたちや同僚たちと、共に生きていければ。そう思った。

 

6.おわりに

番組は、あまりにも劇的だった。その劇的さの背後にある、宇宙さんの、遊歩さんの、彼女らをケアし脱学習してきた人々の、日常の様々な格闘も、僕は想像したいと思った。

闘いは、僕らの日々の生活と労働の場面で、いつでも転がっている。気づけば、そこにある。なかったことにしようとしても、なくならない。それは、きっと恩寵だ。そう感じる。

中動態と制度分析

0 はじめに 

國部功一郎『中動態の世界』(医学書院、2017年)を読んでいる。

序文を読み、次のような場面を思い出した。
ある人へ僕は、「ホントにあなたが、【そのこと】を辞めたいと思ったら、手を貸す」と伝えたことがあった。
「もう限界だ、とあなたが感じたら、僕は手助けすることができる。そのときが来たら、僕に言ってほしい」と。

…ダメだ。僕はまだ、「意志」に侵されている。
中動態の世界へ、僕は自分を中へと入れられていないのだ。
序文を読んで、僕はそう思った。

 

1 意志と責任、その暴力 -本文を最後まで読む前に

これまで僕は、文章を書く様々な場面で、能動と受動を撹乱するように表現する、そんな癖を僕自身が持っていることに、何となく気づいていた。
杉田俊介さんや大澤信亮さんの影響だ。ふたりは、能動と受動、加害と被害の入れ替わりや反転について、いつも注意の目を向けていた。

『中動態の世界』は、こうした問題意識を受け継いで持っていた僕にとって、非常に刺激的な内容に思える。

理性中心主義の登場後、主体概念が生まれ、「意志」という幻想が創られて、能動/受動が明確に分けられた。
創られた「意志」、それに伴う暴力については、自己責任論を思い出せば分かりやすい。
「あなたの意志でこうなったのだから、あなたが悪い」。
この言葉と幻想は、人を殺している。いまもまさに、現在進行形で。
能動か受動かへと、行為をどちらか一方へ明確に区別する、「意志」という名の分断線。
「意志」を在るものと見做す言語実践。
これらは、強烈な暴力性を帯びている。

ネオリベラルな言説だけに、この暴力性があるわけではない。左派の言説にも、この暴力性は無縁ではない。
いや、むしろこう言うべきだ。左派の言説とは、前提として、この暴力性と共にあるのだ、と。
なぜなら、左派の言説は、理性を用いて、この理性の存在を前提として、これまで作られてきたのだから。
リベラル派が理性を用いて発信する、その言説には、常にこの暴力の可能性を警戒すべきだ。

岡野八代さんの『フェミニズム政治学』。
そこでは、理性中心主義・自立的な個人観による主体概念を批判し、ケア・「声なき声」を想起させる人間観を提示していた。
中動態の議論とも、きっとリンクしていくのではないか。

障害学や依存症論で提唱してきた当事者論。
熊谷さんや上岡さんと國部さんが対話しながら中動態概念を練り上げた経緯がある以上、これらには当然リンクしていくはずだ。

この本を読むことで、僕もどんなことを感じる/感じさせられるのか、非常に楽しみだ。

 

2 制度分析

フェミニズムの人間観。障害学等の当事者性論。さらに…。
僕は、以前から「制度分析」という思想と実践に興味を抱いていた。
研究をしていた頃は、一本論文も書いた。

ci.nii.ac.jp

上記の論文では、制度分析とは何か、それなりの説明がされてある。
(前の方の、教育学だの教育原理だのがどったら、という部分は読み飛ばしてほしい。論文化するために、無理やりくっつけた部分だから)

『中動態の世界』を読み、中動態の構えとは、制度分析の議論でいうところの「後向きの想像力」等の概念に、非常に似ていることに気づく。
そして、中動態の構えに加えて、権力性へと焦点が振り向けられている点が、制度分析の議論の特徴であると言えるだろう。
制度分析にはミクロ政治学的な視点がある、と言われる。すなわち、いわゆる「マジョリティの当事者研究」という、近年取り上げられ始めた視点が、制度分析の思想には先行して存在していた。
中動態とは、このミクロな場における内在的な権力性分析という構えを示している。そんなように感じた。

中動態とは、主語がその状態なり経験に影響を受けていること、それをそのまま表現する文法のことだ。
制度分析とは、以下の二点を同時に分析せよ、と呼びかけるものだ。
一、権力性を帯びる人が、自分の足を踏み入れている場で、その権力性によって場自体へ影響を与えている事実。
二、自らが支配欲へと囚われていく、その政治的欲望。

より権力性と支配欲に焦点付ける視座が、制度分析の議論の特徴であると言える。

中動態→制度分析→マジョリティの当事者研究、という流れで、文章に残してみたいと感じた。では、『中動態の世界』を最後まで読んでみよう。

 

3 ヴィア船長と共に ―本文を読み終えて

…『中動態の世界』を読み終えた。
前半、第3章ぐらいまでで、面白いと感じさせられたイメージは、その後大きくは膨らまなかった。
同じモチーフを、いくつかの角度から、何度も何度も確認していくような本だった。
デカルト研究者である國分さんが、これまでの理論に中動態の概念も加えて、じっくり言葉を積み上げるプロセスに追走させてもらった、そんな読後感を味わっている。

ただし、最終章の小説『ビリー・バット』論は、自分の過去の体験を想起させられて、新鮮であり刺激的で、とても面白かった。
僕にとっても、ビリーには「憧れ」を、クラッガートやヴィア船長には「自分」を感じ、慄然とした。
中でも特に僕が惹かれたのは、ヴィア船長である。

ヴィア船長がビリーへ刑を宣告した真の理由は、「船員の叛乱への恐れ」だった。
その恐れが、何もかもを見えなくさせ、頭上に偽りの理由を幾重にも積み重ねてしまい、ヴィア船長を錯乱させたのだった。
恐れが底にあること自体に、ヴィア船長は気づくことができなかった。

ヴィア船長の立場に対し、ビリーは同情したわけだけど、そんなビリーの心にも、僕は共鳴する。
ヴィア船長は、ビリーに心底惹かれていた。だからこそ、ビリーを殺す自身の決断は、それはそれは辛いものだったろう。

ヴィア船長の決断、そこで用いられたヴィア船長の「意志」は、確かに何もかもを切断し消去しようとする営みだった。
ビリーを想う気持ちも、底には叛乱に怯える自分がいたことも、それら全てを「意志」で断ち切ろうとしたのだろう。
建前として前面に出たのは、自らが法的な存在であらねばならないとする義務感だ。

しかし消そうとした気持ちや恐れは消えずに残り、悔いとなってヴィア船長を最後まで動かしていった。

僕が『ビリー・バット』論を読みながら思い出したのは、前職の経験だ。
僕も、人の言葉や行為の裏をいつも読もうとした。
その実、底にある怯えにいつも規定されていた。
ギリギリでの判断を迫られることが多く、その多くに法的な(…? 組織維持のための「建前」的な?)理由を貼り付けては、僕はヴィア船長のように振る舞い、結果残るのは「悔い」だった。

そんな経験をし、『中動態の世界』を読み終えた今は、以下のような言葉が残る。

・権力性を帯びるものこそ、複数化させ(≒複数的転移が生じる場を立ち上げて)、問いを浮かび上がらせなければならない。

・ヴィア船長が、「自分は恐れのために目隠しされ、決断を迫られているのではないか」と躓ける契機を。

「今の錯乱した私をスローダウンさせ、誰かに事の次第を委ねられるような、そんな一手は有り得ないのか」と。

「そうした一手を探し委ねることは、決して逃げではない。むしろ、怯えにより錯乱している私がここにいるならば、そうした一手の可能性を探る努力の放棄こそが、ここでは『逃げるということ』なのではないのか」と。

そのように、ヴィア船長に立ち止まらせる機会を。

…環境として、それらが表現される可能性こそ、用意されねばならないのだ。


クラッガートやヴィア船長は、精神分析的だ。
いつも裏を読もうとし、疑心暗鬼になる。
いつしか自閉し、独我論的な幻想に囚われていく。
人の無意識を分析しようとし、いつしか自らの無意識が分析できなくなって暴れ回り、ついに制御不能になっていく。

これは、フェリックス・ガタリ三脇康生さんによる、精神分析に対する根底的な批判と重なる。
要は、臨床家と患者、スタッフと被支援者といった線引きが、能動と受動の区別に対応するのだ。
その区別を強固にする実践は、最終的に独我論へと閉じていく。

能動と中動の世界が、臨床家・スタッフを含めた、その場にいるあらゆる人の当事者性を分析すること(≒その人の本質を捉え、その変状を表現すること)を可能にさせる。
それをガタリは、制度分析と呼んだのだろう。

必要なのは、権力性を帯びる者自身の精神分析であり、権力性を帯びる者が片足を置いている場への分析であり、その両者を同時に行わせる分析の運動(≒制度分析)である。
そうした営為、それを呼び起こす運動を、「メジャー性の当事者研究」と言い換えても良い。

自らを過程の中に留まっているものとして精緻に捉えようとし、その変化のあり様を手放さないようにして、そのまま表現しようとする中動態の構え。これを、その場にいて権力性を持つ者が、自然に惹かれ、気がつくと実践している。そんな運動こそが、今まさに必要だ。

ことを「人間」として、その「属性」として捉えてはいけない(それが「能動/受動」パラダイムなのだろう)。
ことを(「変状」している)「本質」として、その「性質」として捉える。
ガタリ人間主義を批判して、「抽象機械」という言葉でその目指すべき理念を表現したのは、この「中動/能動」パラダイムを捉えたいがためだったのではないか、と思った。

そして、とりわけ三脇さんが注意を向けていたのは、とにかく「権力性」の分析へと焦点づけることだった。
浅田彰らのガタリ批評を批判し、特に1960年代頃までの初期ガタリの議論に、三脇さんは可能性を見ていた。
そこには、痛切に、権力性分析への欲望があった。
評論家のように、メタに立っての言動やアクションは、自らを過程の外に置いて為そうとするもので、そこでは足下の権力性を分析しようとする運動が、決して生じはしない。

かといって、『中動態の世界』を読み終えた今なら、メタ的に薄っぺらく言葉だけを操る評論家や、実は内心で保身のことしか考えていない権力者のことなどを、「無責任だ」と責める気持ちも、今は立ち止まって考えるべきだと感じている。
責任を問おうとする心性は、「能動/受動」パラダイムに囚われている。支配欲に囚われている。
その心性は、反転して僕をヴィラ船長のようにするだろう。

必要なのは、自らの権力性と、それが支配欲へと流れていく、そんな政治的欲望に眼を向けること。
その欲望が湧いてくるプロセスを表現すること。
支配欲≒政治的欲望が場にどのような影響を与えてきた/いるかを捉えようとし、そのように試行錯誤している自分を、そのまま表現することだ。

それは「意志」で為すのではない。
中動の構えとは、ありふれて在るもの。
つまり必要なのは、今この場にある、そんな中動の構えをただ自然に捉えていくイメージで生きることだ。
ただし、ありふれて在る中動の構えは、保守的な社会構造とそれに伴う保守的な価値観によって、常に「能動/受動パラダイム」に脅かされている(ように感じさせられる)。
つまり、中動の構えをただ自然に捉えるイメージで生きることとは、痛烈で絶え間のない、社会変革を求める運動として、表現されているように外からは見えるはずだ。
しかし、その内部にいる人の主観は、決してそうではない。強い意志としてあるのではなく、ただあるようにして生きることになっているはずだ。

…ここまでは、中動態の理論を制度分析の思想に重ねて、なぞろうとしてみたに過ぎない。
いつか僕がしてみたいと思うのは、当事者研究→中動態→制度分析という流れで、制度分析という概念とはどのようなものであるかを紹介し、現在の議論では得られていないような新たな知見を、制度分析の思想の中から見出したい、というものである。
それは、今はできない。ここでの文章は、ただ、「そこにある権力性と、支配欲へと注意せよ」と、僕へそう視線を向けるよう、あらためて促したに過ぎない。

 

4 非モテ男性論

以下、してみたいと他に感じたことを、ここに留め置く。

非モテ男性論との接点で言えば、どこかの本(二村さんの『すべモテ』の後書き?)で、二村さんと國分さんが非モテ男性論について言及しており。
そこでは國分さんが「モテたいと思う自分を感じ切り、決断し行動せよ」というような発言をしていた記憶がある。

その國分さんの発言は、まだ『中動態の世界』に取り組む前のものだと思われる。
中動態の議論を経由すると、國分さんだったら非モテ男性論へどのように言及することになるか、予想してみたい。

いま、思いつきで予想してみるなら…。「モテたい」とは何かを、それぞれが躓き、立ち止まって考える機会の提供こそが必要である、ということになるのではないだろうか。
非モテの男」に囚われてしまった自分、その過程を振り返る。
そんな自分へと変わったり、揺れたりしている状態を表現する。
まずはそんな構えが必要なんじゃないか。

…ちなみに、國分さんと二村さんとの非モテ男性談義に注意を向けていたのは杉田俊介さんであり、杉田さんの『非モテの品格』は、まさしく言論人という権力性を帯びた立場で、自分の非モテ男性性の揺れを表現するものだ。
それに喚起される他の男性性たちに向け、その男性生たちが揺らぎの中で表現されていく運動、その到来を、心の底から祈りつつ。
そして杉田さんは、個々の男性たちを変化へと誘う運動として、「男らしくない男たちの当事者研究」にチャレンジし、先鞭をつけてくれたのだった。
西井開さんの「非モテ当事者研究会」も、そうした運動の流れの中で僕は捉え、期待している。
環さん・うちゅうじんさんの「うちゅうリブ」も、そうした文脈で僕は応援している。

 

5 おわりに

…最後に、僕が『中動態の世界』の序文を読んで想起した、ある人へかけた言葉について振り返る。

僕の中にも恐れがある。
全てを打ち明けたその人から、僕がその人の無意識に深くコミットしたことで恨みを買い、復讐されるのではないか、という恐れ。
もっと踏み込むと、事態は急速的に混乱し、そこにはコミットしたくない、自分が面倒臭い事態に巻き込まれたくない、と怯えて、逃げたくなる心。

あのときの僕は、僕なりに、ギリギリまで踏み込んだ。
そもそも、何も言わずに逃げたかった。
でも、僕がその人に引き継いで、その人が応援していくだろう人々の今後を考えて、その人々と共にできる限り考えようとするならば、何も言わずに逃げることは「ない」と思ったのだ。だから、遅すぎると思ったが、コミットしたのだった。

…しかし、やはり僕は、不十分だった。僕の中の恐れや怯えを、僕は表現できずに、ある切断を行なったのだろう。だから、悔いが残っている。

僕の中には、当時も今も、山ほど不満もあるし不平もある。
はち切れて爆発しそうだ。
そうした自分も、いまここで表現しよう。
その上で、僕は、どうした構えに「なる」のか。

自分が弱いとか強いとかも、いまは表現したくない。
弱いとか強いとか表現しようとするときに、ある種の切断があって、「弱さを大切にしよう」と思うとき、それが強さを求める枠組みへの強化につながることがあるから。
今の僕は、ただ、表現しよう。今の僕につながる経験を。その歴史を。
ただそのまま、あるがまま。僕の今につながる事実として。

そうして、いま僕が片足を置いている場、僕がその場に影響を及ぼし与えた/ている部分、そうではない部分を、できる限り立ち止まり、考え、捉えて、表現しよう。
そうした動的な存在と場の中で、僕はコミットしよう。
それで結果的に、何かが生じたり生じなかったりするだろう。
その結果から、何かがわかり、何かに「なる」。

 

支配して責任を感じようとするな。

 

そのまま表現すれば、何かに「なる」。それで良いし、良くなくて良いのだ。

ブックリスト 【 まくねがおの、ぶっく・りーど・めんずりぶ 】

※ 随時更新予定…?(…しないかも)

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ウーマンリブフェミニズム

田中美津[1972]『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』、河出文庫
上野千鶴子[1990]『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』、岩波書店

 

【古典的な男性学論集】

・渡辺恒夫[1989]『男性学の挑戦』(日本初の学際的な男性学論集)
・井上輝子+上野千鶴子江原由美子編[1994] 『日本のフェミニズム① リブとフェミニズム』、岩波書店
・井上輝子+上野千鶴子江原由美子編[1995]『男性学――日本のフェミニズム(別冊)』、岩波書店

 

【日本版男性学

・渡辺恒夫[1986]『脱男性の時代』、勁草書房
伊藤公雄[1993]『男らしさのゆくえ』、新曜社
伊藤公雄[1996]『男性学入門』、作品社
・メンズセンター編[1996]『「男らしさ」から「自分らしさ」へ』、かもがわブックレット
・多賀太[2001]『男性のジェンダー形成――〈男らしさ〉の揺らぎのなかで』、東洋館出版社
・多賀太[2006]『男らしさの社会学――揺らぐ男のライフコース』、世界思想社
〇田中俊之[2009]『男性学の新展開』、青弓社ライブラリー
〇田中俊之[2015]『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』、KADOKAWA
◎田中俊之[2015]『<40男>はなぜ嫌われるか』、イースト新書
 ←【ありのままを見つめられない男性には、「心の醜形恐怖」がある? 「男性論ルネッサンス」検証 - wezzy|ウェジー
 ←【「40男」を嫌っているのは女性ではなく自分? 軽さと過酷さを兼ねそなえた『〈40男〉はなぜ嫌われるか』 - wezzy|ウェジー

 

【実践的運動の歴史】

・男も女も育児時間を!連絡会(育時連)[1989]『男と女で[半分こ]イズム――主夫でもなく、主婦でもなく』、学陽書房
・谷口和憲[1997]『性を買う男たち』、現代書館
〇だめ連編[1999]『だめ連宣言!』、作品社

 

【評論系(2000年前後~)】

小谷野敦[1999]『もてない男――恋愛論を超えて』、ちくま新書
小浜逸郎[2001]『「男」という不安』、PHP選書
加藤秀一[2006]『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』、朝日出版社
杉田聡[2003]『レイプの政治学――レイプ神話と「性=人格原則」』、明石書店
本田透[2005]『電波男』、三才ブックス
本田透[2005]『萌える男』、ちくま新書

 

【新しい潮流(2010年前後~)】

二村ヒトシ[2012]『すべてはモテるためである』、文庫ぎんが堂
二村ヒトシ[2014]『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか」、文庫ぎんが堂
 ←【やっぱりモテなきゃダメですか? 2人の非モテが読む二村ヒトシ『すべてはモテるためである』 - wezzy|ウェジー
◎坂爪真吾[2014]『男子の貞操――僕らの性は、僕らが語る』、ちくま新書
 ←【「ゴミ」と見なされている男たちの性を、スマートに捉えなおすことは出来るのか? 坂爪真吾『男子の貞操』 - wezzy|ウェジー
奥田祥子[2015]『男性漂流――男たちは何におびえているか』、講談社+α新書

 

【男性の暴力】

宮地尚子[1998]「孕ませる性と孕む性――避妊責任の実体化の可能性を探る」、『現代文明学研究』第1号
宮地尚子編[2004]『トラウマとジェンダー――臨床からの声』、金剛出版
・沼崎一郎[2002]『なぜ男は暴力を選ぶのか――ドメスティック・バイオレンス理解の初歩』、かもがわブックレット
・中村正夫[2003]『男たちの脱暴力――DV克服プログラムの現場から』、朝日選書
・岩崎直子[2004]「男性の性被害とジェンダー」宮地編[2004]
草柳和之[2004]『DV加害男性への心理臨床の試み――脱暴力プログラムの新展開』、新水社
信田さよ子[2008]『加害者は変われるか?――DVと虐待をみつめながら』、筑摩書房

 

フェミニスト男性研究】

〇澁谷知美〔2001〕「「フェミニスト男性研究」の視点と構想 日本の男性学および男性研究批判を中心に」、社会学評論2001年51巻4号p.447-463(URL:「フェミニスト男性研究」の視点と構想

〇澁谷知美〔2003〕『日本の童貞』、文春新書(河出文庫版は〔2015〕)
・澁谷知美〔2009〕『平成オトコ塾―悩める男子のための全6章』、筑摩書房
・澁谷知美〔2013〕『立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史』、洛北出版

 

森岡正博杉田俊介メンズリブ論】

森岡正博[2005]『感じない男』、ちくま新書
森岡正博[2008]『草食系男子の恋愛学』、メディアファクトリー
杉田俊介〔2008〕「『男性弱者』と内なるモテ幻想」『無能力批評』、大月書店
 ←【シスへテロ男性固有の困難は、どう名指せば良いのか?(もしくは、名指すべきではないのか?) - まくねがお のブログ
杉田俊介〔2016〕『長渕剛論』、毎日新聞出版
杉田俊介〔2016〕『非モテの品格』、集英社新書
 ←【『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』 感想・書評とやりとり - Togetter】※烏蛇さんが僕のツイートをまとめて下さいました。誠にありがとうございます。
杉田俊介〔2017〕『宇多田ヒカル論』、毎日新聞出版
 ←【宇多田ヒカルの歌う「愛」は、男たちの新たな人間関係のヒントになるかもしれない。 - wezzy|ウェジー

 

【今後一読して、上記に加えるか検討する予定のもの】

・蔦森樹編〔1999〕『はじめて語るメンズリブ批評』、東京書籍
・須永史生〔1999〕『ハゲを生きる 外見と男らしさの社会学』、勁草書房
橋本治〔1986〕『恋愛論』』、講談社文庫(『完全版』、文庫ぎんが堂は〔2014〕)
橋本治〔2008〕『あなたの苦手な彼女について』、ちくま新書
宮台真司他編〔2009〕『「男らしさ」の快楽』、勁草書房
〇桃山商事〔2014〕『二軍男子が恋バナはじめました。』、原書房
・桃山商事〔2014〕『生き抜くための恋愛相談』、イースト・プレス
〇多賀太〔2016〕『男子問題の時代? 錯綜するジェンダーと教育のポリティクス』、学文社
・平山亮〔2017〕『介護する息子たち:男性性の死角とケアのジェンダー分析』、勁草書房

杉田俊介〔2018〕「私がフェミニズムから学んだと信じていること」『すばる2018年5月号』p.101-103、集英社

〇「特集 ぼくとフェミニズム」『すばる2018年5月号』p.84-264、集英社

 

※個人的な関心から、非モテに偏ったブックリストになっています。

おどおど桃

 おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、という男女の固定化された分業こそ、性差別を産み育ててきたその元凶だが、それは男を山へ、女は川へ行かねばならないという強制を作りだすことによって維持されてきた。山というのは社会、川というのは家。つまり、男の『生きる』は社会に向けて、女の『生きる』は男に向けて、それぞれ存在証明していく中にあるという論理が、男女の固定された分業を通じて作り出され、それは長い歴史過程の中で巧みに構造化されてきた。

(中略)

 『お嫁に行けなくなりますョ』という恫喝は日常のささいなできごとを通じて、絶えまなく女に襲いかかってくる。よく、あたしは個人史の中で特に女を意識するように作られた記憶がない、などと言う人がいるが、女は川へ行かねばならないという外側からの強制は、いつのまにか、自ら川へ行ってしまう女を、女の中に作り出していて、〈女らしさ〉が無意識領分で操作されているところに、性差別の呪縛の、その解き放ち難さがあるのだ。

田中美津『いのちの女たちへ』より)

 

 「ないもの」を「ことば」にしていた人がいた 「いのちの女」に続く覚悟は?

(まくねがお、短歌投稿サイトUtakataより) 

 

おどおど桃

作 :まくねがお、山本謙    

底本:楠山正雄「桃太郎」青空文庫

 

第一章 はじまり

むかしむかし、あるところに、おばあさんとおじいさんがいました。毎日、おばあさんは山へしば刈りに、おじいさんは川へ洗濯に行きました。

ある日、おじいさんが川のそばで洗濯をしていますと、川上から大きな桃が一つ流れて来ました。おじいさんは、その桃を拾い上げ、抱えてお家へ帰りました。

夕方になり、山から帰ったおばあさんが、お家にあった大きな桃を、驚いてながめていますと、桃はぽんと二つに割れ、

「…ん? …んぎゃ、…んぎゃ。…ん?」

 と控えめなうぶ声を上げ、弱々しい赤ちゃんが遠慮がちに現われました。

おばあさんはますます驚いて、とにもかくにもまずは赤ちゃんをうぶ湯につかわせようとして、赤ちゃんを抱き上げました。すると、赤ちゃんはおどおどしながら、

「…スミマセン。」

 とでも言うかのように、おばあさんの顔から目を背けてしまいました。

「おやおや、何という遠慮がちな子だろう。」

おばあさんとおじいさんは、そう言って顔を見合わせた後、この子を自分たちで育てることに決めました。桃の中から生まれた子だということで、この子に「桃」という名をつけました。

 

 

時は流れ、桃は十五歳になりました。桃は元気に育ちましたが、その遠慮がちでおどおどとした感じは決して直らず、村人たちにいじめられても、あまり抵抗できない「おどおど桃」となってしまいました。

そしてある日、村では、おかしなウワサが持ち上がりました。最近村では、食べ物がよく盗まれる。どうやら、鬼がお家に忍び込み、食べ物を盗んでいるらしい。この村から遠く離れた、海の向こうの小さな島に、その鬼は逃げていった…。村人たちはいつしか、その小さな島のことを、鬼ヶ島と呼ぶようになりました。あそこには悪い鬼が住んでいて、村から盗んだ沢山の金銀財宝をため込んでいるんだ、とひそひそ言い合っています。しかし、鬼ヶ島に行って真相を確かめようとする村人は、誰もいません。

「誰かが、様子を見に行った方が良いんじゃないか?」

「鬼が攻めてくるかもしれないぞ。村に攻めてくるかもしれん。」

テポドンが飛んでくるかもしれん。」

「村の危機だ! 『村難(むらなん)』だ! 危急存亡のときだ!」

「ジェーアラートだ! 解散総選挙だ!」

…ひとしきり、村の中では大騒ぎがあったようです。そして…。

 

…なぜか、桃が鬼ヶ島へ行くことになっていたのです。

 

きっと、桃の頼みを断れない性格を知っている誰かが、そういう流れにしたのでしょう。桃は、お家に帰っておばあさんの前へ出て、こう言いました。

「あのう、桃に、しばらくおひまを下さい…。鬼ヶ島へ、なんだか桃が様子を見に行くことになったみたいで…。」

おばあさんはびっくりしておじいさんも呼び、いつものように、三人での話し合いが始まりました。じっくり桃の話しを聴いて、おばあさんは、こう言いました。

「鬼ヶ島に行くのは、止めた方が良いですね。私だったら、行きませんよ。」

「桃は、どうしたいんじゃ?」

そうおじいさんに尋ねられ、桃は、困ってしまいました。どうしたら良いかわからず、眼には涙が滲んでいます。それを見て、おばあさんがこう言いました。

「…桃も、もう、十五歳。そろそろ、桃の行動は、桃が決めて、桃が責任を取らないといけませんねえ。」

「それは、いまの桃には、ちょっと厳しすぎるんじゃないかのう…。」

「…桃、困ったときは、いつでも私たちに言って良いんですよ。困ったことがあったら、私たちはいつでも一緒に考えることができるし、失敗しても一緒にやり直すことができるんですから。だからいま、桃が、一番したいようにすれば良いんですよ。」

「わしらは、桃を応援しとるぞ。」

桃はよーく考えて、まず鬼ヶ島へ行ってみることに決めました。桃の決意の言葉を聞いたおじいさんが、

「よーし、そんな遠くへ行くんなら、おべんとうをこしらえてあげよう。」

 と言い、おべんとうのきびだんごを作り始めました。きびだんごがうまそうにでき上あがる頃、桃のしたくもすっかりでき上がりました。桃は、

「じゃあ、おばあさん、おじいさん、行ってきます…。」

 と、いつものおどおどした声をのこして、お家を出ていきました。おばあさんとおじいさんは、お家の外に立って、いつまでも、いつまでも見送っていました。

 

 

第二章 出会い

桃が海辺に向かって、とぼとぼ歩いていきますと、大きな山の上に来ました。すると草むらから、犬が一ぴきかけて来て、早口でこう言いました。

「なんか面白いことないかなないかなワンワンワン。」

桃は、犬の早口に戸惑いつつ、こう言いました

「えーっと、桃はこれから鬼ヶ島に行くんだけんども…。」

犬は、桃の言葉が終わらないうちに、こう早口で言いました。

「あっあっあっ腰になんかあるなんかあるワンワンワンワン! 腰に下げたものはなになに何なの何なのワンワンワン!」

「えっとえっと、これはきびだん

「わっわっほしいほしいちょうだいちょうだいワンワンワン! 鬼ヶ島にも行きたい行きたい面白そうだワンワンワンワン!」

「えっと、えっと…。うん…。」

桃はとりあえず、犬にきびだんごを一つあげました。犬はきびだんごを一つもらい、桃のあとからついて行きました。

 

山を下りてしばらく行くと、こんどは森の中にはいりました。桃がふと見上げると、木の上で猿が一匹、一心不乱に何かの計算をしています。その猿の顔色がとても悪かったので、桃は心配して「あのう…。」と声をかけましたが、猿は計算に夢中で、気づかない様子。そのうち、猿のお腹が「ぐーっ。」と大きくなりました。ははあ、お腹が空いているのかも。桃はそう思い、きびだんごをひとつ取り出すと…、良い香りが猿の鼻まで届いたのでしょう、猿がハッとして、こちらを向きました。

「あのう…、顔色悪いですよ。これ、食べますか。」

「…此れは此れは本当に感謝の念に堪えない。私は気が付くと過集中状態へと突入しており、空腹状態を維持したまま膨大な時間と共に現世界の生態系を体験し続けていたようだ。」

そう言って猿は、するすると木から降りてきて、今度はきびだんごを一心不乱に食べ始めました。食べ終わると、桃へ丁寧におじぎをし、お礼をしたいと、難しい言葉を使って言いました。桃は、難しい言葉に戸惑いながら言いました。

「えと、えと…。桃はこれから鬼ヶ島に行くんだけども…。犬くんと一緒に。あれ、犬くん? おーい、犬くーん。」

犬は遠くで、ちょうちょと遊んでいます。…と思ったら、「あっリス!」と、目の前を横切ったリスを追いかけ始めました。それを見て猿は、こう言いました。

「…成程。ならば、私も鬼ヶ島なる場所を目指して旅程を共にすることを提案致したい。向こうの犬科の生物は、著しく知能が劣っているように見受けられる。」

「犬くんを、そんなに悪く言わなくても…。…うん、でも、ついてきてくれると助かるよ。猿さんは、とっても頭が良さそうだし…。」

こうして、猿も桃のあとからついて行きました。

 

山を下りて、森をぬけ、こんどはひろい野原へ出ました。すると空の上で、「ケン、ケン。」と鳴く声がします。見上げると、雉が一羽とんで来て、ニコニコしながら、こう言いました。

「こんにちはー。」

「あ、こんにちは。」

「アタシ、雉ちゃん。」

「あ、も、桃です…。」

「この先、鬼、出るよ。あぶないよ。」

「うん、桃たちは、鬼ヶ島に行こうと思ってるんだ…。」

 雉と桃が話していると、犬が話に首を突っ込んできました。

「おっおっおっ、雉ちゃんも仲間に入れよう入れようそうしようワンワン! 空飛べるよ役立つよワンワンワン!」

猿も、ムッとしながら口を挟んできました。

「犬は本当に失礼千万な生物だ。初対面の相手に不躾な依頼を羞恥心なく申し出るとは。確かに上空を飛来する能力は現行の我ら一行に持ち合わせない貴重で価値あるものに相違ない。しかし通りすがりでありともすればすれ違って二度と出会うことのない不確実性を多分に要素として含む他者に相対し、即座に先のような非礼な態度で勧誘に臨むならば、本来は快諾される可能性のある任務もあえなく拒絶される可能性のあるものとして変換される恐れがないとは言えない。なあ、そうだろう、雉ちゃんと自らを名指す方よ。」

雉は、ニコニコして、こう言いました。

「うん、うん。」

犬は猿に言い負けないように、早口でこう言いました。

「猿はホントにいけ好かないいけ好かないいけ好かないワンワンワンワン! ねー雉ちゃん一緒にいこうよいこうよワンワンワン! いいだろいいだろワンワンワン! 楽しいぜ楽しいぜワンワンワンワン!」

雉は、ニコニコして、こう言いました。

「うん、うん。」

「わっわっほらほらワンワンワン! 一緒に行ってくれるって一緒に行ってくれるってワンワンワンワン!」

犬が喜び駆けまわり、桃も驚き、言いました。

「え、ついてきてくれるの? 雉ちゃん…。」

「うん、うん。」

「それは、とっても嬉しいんだけども…。あ、そうだ、きびだんご、あげるね。おじいちゃんが作ってくれたんだけんども…。」

雉は、さっきよりもニコニコし、目をキラキラさせて、こう言いました。

「わー、ありがと!」

こうして、雉もきびだんごを一つもらい、桃のあとからついて行きました。

 

 

第三章 ケンカ

一行がさらに進んで行くと、やがてひろい海ばたに出ました。そこには、ちょうどいいぐあいに、船が一そうつないでありました。一行は、さっそく、この船に乗り込もうとしたのですが…。

…そこで、大ゲンカが始まってしまいました。犬が後先考えず、船の一番前に立ち、がむしゃらに漕ぎ出そうとしました。猿が犬を押し止め、犬の行動の非論理的な点を長々と述べて、「まずは鬼ヶ島への距離と方角、着くまでの時間を類推して計算し、適切な速度と角度を確定してから出発すべきである。」と主張、ひとりで計算を始めてしまったのです。犬は三秒ほど待ったもののすぐにイライラして頭が沸騰、次の瞬間、犬と猿は取っ組み合いのケンカを始めてしまい、桃が慌てて止めに入りました。その間ずっと、雉は、離れた場所で見ています。

何とか桃が間に入り、二人を引き離そうとしています。犬はとにかくイライラし、ついにみんなの悪口を言い始めました。

「猿のヤツ、最初から気に入らなかった気に入らなかったワンワンワン! 頭が良いのを鼻にかけ、オレをずっとバカにして、バカにしてバカにしてワンワンワンワン!」

「桃だって、悪い悪いぞワンワンワン! アンタが大将のはずだろワンワンワン! なのにずーっとぼーっと立ってるだけワンワンワン! もっと猿にガツンと言ってやれワンワンワン! 頼りない頼りないワンワンワンワン!」

「雉だって、オレは腹立つ腹立つワンワンワン! お前が一番何もしない、ただ見てるだけ見てるだけワンワンワン! ズルイズルイズルイわんわんわんわん! そういうヤツ、オレ大嫌い! 大嫌い大嫌いワンワンワンワン!」

犬はひとしきり叫びまわり走りまわり、ついに、こう言いました。

「オレ、この旅を抜けるワンワンワンワン!」

 

そんな犬の言葉を聴き、興奮した猿も言いました。

「私も犬に対しては最初から猛烈にそして拭い様のない激しい違和感を持ち続けていた! この一行の旅程の方向性を定める最終審級は桃氏であることは一寸の狂いもなく確定的な事実である! だのに犬は常時先行して行動を決定し、我々一行を振り回し我々を混乱に陥れ続けて来た! 一体全体全く持って何様のつもりか!」

「お前こそ何様のつもりだワンワンワン! 何言ってるか、いっつもゼンゼン意味わかんないんだワンワンワンワン!」

「私の主張の意味を犬が解さないのは、犬の語彙力と理解力が極めて致命的に乏しいためである! 犬が日々の思考・行動において、常時内的に論理的な言語処理を実行し、深い洞察を重ね続けていたならば、緻密かつ透徹に論理性を駆使して積み上げられた末に錬成された先のような私の主張を、精確に理解することが多大な労力を費やす程の困難であるはずなど無いのだ!」

「うるさいうるさいワンワンワンワン!」

「五月蠅く耳障りなのは犬、貴様の方だ! 罵菟倭菟罵菟倭菟(ばうわうばうわう)と口汚く吠えるな! 言葉とは発せられれば発せられるほど暴力を誘発するもの、此れほど私が常日頃言葉少なく主張しようとして血の滲むような努力を欠かしていないにも関わらず、貴様はその醜く耳障りな負け犬の遠吠え一つも我慢できないのか!」

猿のこの言葉を聴いて、犬の表情が怒りのあまり、スッと青ざめるのを、桃は確かに見ました。思わず桃が口を挟みました。

「猿さん、その言葉は酷いよ。いや、猿さんが本当は何を言っているのか、桃にも意味がよくわかんなかったけども…。とにかく、犬くんに酷いことを言ったのが、桃にも分かったよ。猿さん、犬くんに、謝った方が良いよ。」

猿は、桃の言葉を聴いて、一瞬ひるんだような顔をしました。しかし、思い返したようにキッとした顔をして、桃にこう言い返しました。

「大半が完全に的外れな知見に過ぎない犬の主張において、桃が頼るに値しない存在だという議論を展開した点に関してだけは、唯一正鵠に的を射ていると私も常々想念していたところだ! あなたが私へ先のように忠告する資格など、唯の一つたりとも存在していない!」

猿はますます興奮し、いよいよ引っ込みがつかなくなったのでしょう。雉の方も向いて、こう言いました。

「雉に対しても、強く不審に思う面が無きにしも非ずだ! 現時点に至るまで、雉は一言たりとも自身の内心を吐露・開陳していない。討議に参加しない不作為は、それ自体が現状追認という効果を及ぼさざるを得ず、その点では雉も、我々が陥っているこの破滅的・壊滅的・終末論的な事態に対して、深海の如く底深く昏く重苦しい罪の一端を等しく担っているものと心得よ!」

そう叫んで、猿は最後に、こう言いました。

「私も、この旅を、抜ける!」

 

 

第四章 弱さ

…沈黙が、辺りを支配しました。犬は青ざめ俯いて、じっとその場に佇んでいます。猿はハーハー息を切らし、肩で呼吸をしています。雉は怯えた顔をして、離れて様子を窺っています。どのくらい時間が経ったでしょうか。桃が口を開きました。

「犬くんも猿さんも、ごめんよ。桃が頼りなくて…。」

 桃の言葉に、周りの空気は、ますますどんよりと重たくなったかのようでした。続けて、桃は言葉を重ねました。

「実は、桃は、この旅を、自分がしたくてしているわけじゃ、なかったんだ…。」

桃は、ゆっくりと、この旅に出ることになった経緯を説明し始めました。村の子どもたちからいじめられて、もういじめられるのがイヤで、断れずにこの旅に行くと決めたこと。自分は昔から、なよなよしているとバカにされ、おどおどうじうじしていて、みんなを引っ張る大将になんて、とてもなれないと思っていること…。そんな本心を三匹に伝え、桃は、次のように言いました。

「…だから、もう、鬼ヶ島に行くのは止めようと思うんだ。村人のみんなに、謝るよ、心から。ただ川に流されるようにしてここまできた、桃が悪かったんだ。最初から、そうすれば良かったんだ。」

そうして桃は、三匹に向けて、深々と頭を下げました。

「桃のおどおどに巻き込んじゃって、みんなにイヤな思いをさせてしまって、本当にごめんなさい…。」

三匹は、ただじっと、桃の言葉を聴いていました。

 

「…だからね、もうこれで、帰ることにしようかなって、思うんだけども…。」

ここまで伝えて、桃は、雉の言葉を一言も聴いていないことに気づき、言いました。

「ごめん、雉さんの気持ちを聞くのを忘れていたよ。ねえ雉さん、雉さんの今の気持ち、聞かせてくれる?」

桃は、雉と目を合わせ、いつもおばあさんやおじいさんが桃にそうしてくれていたような、優しいまなざしで、雉へ自分の気持ちを話すように、そっと促しました。すると、雉の口から、ことばが湧き出しました。

 

「…ごめん、バカだから、アタシ。

…わからないの、みんなの話し。バカだから。

…早いと、よくわからないの。アタシ、とろいから。

…難しくて。言うこと、わからないの。だいたいね。

…でもね、わからないと。言うとね、バカにされる。もっと。

…言えなくて。ずっと。みんなに。

…バカにされる。野原の雉のみんなに。いつも、ひとりでいたの。だから…。」

 

…雉の言葉を最後まで聴いて、桃は言いました。

「そんな雉ちゃんに、これまで気がつかなくて、ごめんね。」

すぐに猿も言いました。

「雉ちゃん氏よ、何時も、解り難い言い方をして、御免。」

続けて犬も言いました。

「雉っち、いつも、早口で、ごめんな、ワンワン。」

「ううん。」

 と、雉は、弱々しい笑みを浮かべながら、みんなに答えました。

 

雉のことばを聴いて、犬が、いつしか語り始めました。自分はいつもせっかちで、思いついたことをすぐ、してしまう。後先を考えずに。そして、前にしたことも、すぐに忘れてしまう。そのせいで、常に失敗ばかりしていて、山の犬たちからは、いっつも煙たがられている…。

「だいたい、ひとりなんだオレ、オレもひとりなんだ、ワンワンワン!」

 

犬のことばを聴き、猿も、いつしか語り始めました。自分はいつも、思いこんだらずっとそれに拘ってしまい、没頭して、そのことしかできなくなる。他の人と、何かを一緒にやろうとすると、いつも自分のしたいことを曲げることができず、相手を言い負かしてしまい、仲違いをしてしまう…。

「私も、いつも独りだったんだ。皆と、同じだ。」

 

そう言ってから猿は、犬に、次のように言いました。

「犬氏よ、さっきは、酷い事を云った。意地になっていたんだ。本当に、申し訳なかった。」

「猿っち、オレも悪口言って、悪かったワンワン。」

 

 

第五章 話し合い

桃は、みんなが仲直りしたことに、心底ほっとして、こう言いました。

「それじゃあ、帰ろうか。」

犬がずっこけ、止めました。

「桃っち待て待てワンワンワン! せっかくだから、鬼ヶ島に行ってみたいぞワンワンワン!」

「アタシも、行きたい。」

「私も同じく、行きたいと思う。だが、どのように鬼ヶ島まで行くか。その方法が問題だ。」

いつの間にか三匹が、鬼ヶ島へ行くための話し合いを始めています。慌てて桃も加わって、一人と三匹の話し合いが始まりました。デコボコの一行ですから、話し合いはなかなか、スムーズには進みません。そこで一行は、まず話し合いの決まりを定めることにしました。桃がみんなの声を聴き、猿はそれを言葉に残していきました。定まった《決まり》は、次のような八つの文章になりました。

 

《犬・雉・猿・桃が話し合いするときの決まり》
  1. 言いたいことは、ゆっくり話そう。
  2. 言いたいことは、わかりやすい言葉で話そう。
  3. 相手の話は、終わるまで、しっかりと聴こう。
  4. 相手の話がわからないときは、「わからない」と言おう。
  5. 「わからない」と言われたときは、ゆっくり、わかりやすい言葉で、何度も伝えよう。
  6. 自分の気持ちを、正直に、そのまま伝えよう。
  7. 相手のことを大事にしよう。そして、悪いことをしたなと思ったら、「ごめんなさい」をしよう。
  8. 「わからない」誰かがいないように、置いてけぼりにされる誰かがいないように、全員がわかるまで、ゆっくり、じっくり、とことん話し合おう。

 

そうして一行は、定めた《決まり》に基づいた話し合いで、鬼ヶ島に行く方法を決めていきました。犬は漕ぎ手になり、ひたすら船をこぐ。猿はかじ取りになり、指示された方向へと集中してかじを切る。雉は物見をつとめ、空を飛び船へ戻りと往復して、鬼ヶ島への方角を見定める。桃は三匹のつなぎ役で、雉からの情報を猿に伝えつつ、犬の様子を見守ってペースのアドバイスをする…。

 

そこまで決まって気がつくと、日がとっぷりと落ちていました。

「奉仕残業は、良くない。それは暗黒労働と言うのだ。」

 と猿が言い、みんなは同意して、鬼ヶ島への出発を明日へ延期することにしました。一行は桃のお家へと帰り、おばあさんとおじいさんと共に美味しいご飯を食べ、一緒に楽しくおしゃべりし、お風呂に入って、ぐっすりと眠りました。

 

 

そして、次の日の朝、一行は再び出発して、元の海べりへと戻ってきました。

海べりへ着くと一行は、ついに船を漕ぎ出しました。漕ぎ手の犬の、狂ったようなハリキリぶりは最高潮、まさにマッド・マックス・ドック! 目のまわるような速さで船は走って行きます! 猿のかじ取りの集中力は凄まじく、雉の物見も効果てきめん! 桃はあんまり役立たない!

 

…どのくらいの時間が過ぎたでしょうか。急に雉が、

「あれ、あれ! 島が!」

 と上空でさけびました。桃も、雉の示す方向を眺めてみると、遠い遠い海のはて、確かに島の形があらわれてきました。

「ああ、見える、見える! 鬼ヶ島が見えるよ!」

桃がこう言うと、犬も、猿も、声をそろえて、

「ひゃっほう、ひゃっほう。」

 とさけびました。

 

見る見る鬼ヶ島が近くなり、鬼のお城が見えました。一行はいったん船を止め、船上で再び昨日のように、今後についての話し合いを始めました。昨日定めた話し合いの《決まり》を、何度も途中で暗唱し、立ち戻り、確認しながら。ゆっくりじっくり話し合って、この後一行で何をどうするか、決めることができました。

 

話し合いを終えた頃、お日様はすっかり真上にありました。

「昼休憩なしは、良くない。それは暗黒労働というのだ」

 と猿が言い、みんなは同意して、みんなでおじいさんの作ったお弁当を食べ、腹ごしらえをしました。そして、ほんの少し昼寝をしました。猿曰く、

「此れは怠惰ではない。適切な長さの午睡は、仕事の能率を上げ、合理的なのだ」

 …そうです。

 

 

最終章 旅の行方

昼寝を終えた一行は、鬼ヶ島へと船を寄せ、上陸すると真っ直ぐにお城の前へ行って、みんなで門をノックしました。鬼退治? とんでもない! 必要なのは、お互いを知り合うこと。そのためにまず、相手の話を聴くことです。相手のことを一方的に悪者だと決めつけた行動は、何も生み出さないと、一行は身をもって知っているのです。

鬼たちはなかなか門を開けてくれず、「この島から出ていけ!」と怒鳴られたりもしましたが、一行は話を聴こうとする姿勢を粘り強く示し続けて、なんとか鬼たちと対面することに成功、鬼たちの話を聴くことができました。

確かに、鬼たちは村から食べ物を盗んでいました。しかし、鬼たちにも言い分がありました。桃の住んでいる村の土地は、もともとは鬼たちが住んでいたところだったらしいのです。けれど、人間たちの数が増えるにつれ、どんどんと鬼たちの住処が押し出され、そのことに一部の鬼が激昂、鬼と人間のケンカが始まってしまいました。しかし数で勝る人間たちに鬼たちは敵わず、鬼たちの方が悪いと決めつけられ、終いにはこの島にまで追いやられた、とのことでした。それはずーっと昔にあったことですが、最近の鬼ヶ島ではずっと不作続きで、食べ物もあまりなく、それで鬼たちは村から食べ物を盗むことにした、というのです…。

 

この話を聴いて、桃は意を決し、勇気を出して、こう言いました。

「わかりました。鬼さんたちの話を、帰って村のみんなに伝えようと思います。」

「伝えて、どうすると言うのだ。」

「鬼さんたちは、食べ物を盗んだことについて、『ごめんなさい』をした方が良いと、桃は思います。だけど、桃を含めた村のみんなも、鬼さんたちをいじめたり追い出したりした過去について、『ごめんなさい』をすべきだと思いました。そして、鬼さんたちが元いた土地でも生活できるよう、村のみんなで話し合いをしてみたいと思います。」

「ふん、世の中そんな甘くない。俺らの元いた住処に、今はお前の村があるじゃないか。俺らが、お前の村の隅っこで暮らすっていうのか? どうせ、また何かと理由をつけて、俺らをいじめるに決まってる。」

「もちろん、難しいことを言ってるってことは、よくわかってます。桃も、村ではいじめられていました。

だけど、今ならわかる。きっと、村のみんなは、桃がおどおど、うじうじばっかりしてるのに少し、うんざりしただけなんだ。実際に、そう言われたこともありました。言われた桃の方だって、ただ相手のことを怖がってるばっかりで、少しも相手の気持ちを知ろうとはしなかった。

大切なのは、お互いがお互いを知ることだと思います。桃が、もう少しだけでも心を開き、相手の気持ちを知ろうとして、話し合いをすることができたら。そうしたら桃も、もう少しだけ、いじめられなくなるかもしれない。きっと、鬼さんたちも同じです。少しずつでも良いです。村のみんなと、お話をしてくれませんか?」

 

「…。」

鬼たちはみんな、顔をしかめて、黙っています。雉が思わず、言いました。

「話すの、大事よ!」

犬も思わず、言いました。

「ゆっくり、話して、最後まで、聴くんだ、ワンワン!」

猿も思わず、言いました。

「自他の相互理解を目指し、繰り返し対話する営為が、非常に大切だ。意思の伝達に失敗した場合も、再度の疎通を試みれば良い。私もその重要性を実感した。」

「猿ちゃん、アタシ、今のわかんない!」

「了解。…駄目なら、もう一回、話し合う。これが、大事だと、わかった。」

「アタシもわかった!」

桃も思わず、言いました。

「困ったことがあったら、桃たちはいつでも、一緒に考えることができると思います。失敗したりケンカしたりしても、いつでももう一度、一緒にやり直すことができると、桃は思います。」

一行は必死に、鬼たちへ、自分の思いを伝えました。そして、桃が村の人たちと話し合ってから、もう一度鬼ヶ島へと戻ってくるまでの間に、鬼たちの間でも話し合いをしてみてはどうですか? と一行は鬼たちへ尋ねました。鬼たちは、一行の提案を聴き、戸惑いながらも、

「…やってみる。」

 と言いました。

 

 

これで、用事はおしまい。桃が三匹に向かって言いました。

「それじゃあ、帰ろうか。」

「え、金銀財宝があるんじゃないのかワンワンワン!」

「きっと無いだろう。鬼達は、食べる物もないと言っているのだから。」

「帰ろ! お家に!」

一行は、食べ物があまりない鬼たちへ、手元にあったきびだんごを、残らず全部あげました。そして、手ぶらで船に乗りました。みんなで歌いながら笑いながら、帰りはのんびりゆったりと、船をこいでいきました。

 

空はちょっとずつ茜色に染まり、雁の群れが村の方へ向かって飛んでいきました。お家では、おじいさんが美味しい料理を作って待っています。おばあさんも、しばを背負ってお家へと、ゆっくり、ゆっくり戻ってきているはずです。みんながお家へ帰ったとき、楽しい晩餐がまた、始まるのでしょう。今日も、明日も、明後日も。

 

 

おしまい。


*舞踏家の山本謙さん監修・話者、サックス奏者の吉田野乃子さん演出による、「おどおど桃」朗読劇の動画も、下記で紹介させていただきます。ぜひご覧下さい。

想定外の詩【Full ver】 https://youtu.be/bMZId0KARnA @YouTubeより