依存、ひきこもり、選民意識 ― 『デート』第二話感想

 

ドラマ『デート』第二話の感想を書いていきます。ツイッターでの椿さんとのやりとりなどでも多くの刺激を受け、色々と思ったことを、ここに書き留めていきます。

 

『デート』未見者にはよくわからないような、不親切なものになっていると思います。すみません。

 

 

さて、ドラマ『デート』の第二話を見て、まずは次のことを、ハッキリと感じています。男主人公は、ドラマの第二話にして、非常に大切な批判を受けた、と。

 

 

  • 母子密着と依存

 

例えば、母を自然な感覚で食い物にし、そこを問えない感性。あそこは、男主人公が絶対に潜り抜けなければいけない批判だったと思います。

 

第二話にしてあそこまで深く抉るか、と正直ビックリでしたが(爽快な驚きでした)、大事な局部へと、素早く真っ先に男主人公を向き合わせる展開で、僕としてはとても嬉しかった。

 

第一話でも男主人公と母親の不気味な気持ち悪さが描れていましたが、第二話でも同様のシーンが散見されました。

婚約指輪を買う金を母にせびり、アッサリとその金を出す母。

その直後、母が息子のことを、小馬鹿にするかのように子ども扱いするシーンが続く。

息子のことを馬鹿にし、軽蔑つつも、甘やかしている母のあの感じ。

それに気づいてるんだか気づいてないんだか分からないけど、ズルズル同じ甘えた行動を繰り返す息子。

…本当に、何だか不気味な気持ち悪さを感じさせます。

 

男主人公と母の不気味な感じは、あのドラマでは、きっと意図的に、そこはかとなく匂わせる感じで表現していると感じました。

他のシーンでは、様々な人との関係性を、あれほど誇張して大袈裟に描いているのに…!

母子密着の、あの不気味な感じは、きっと誇張しては描けないのでしょう。誇張して描くと、あの微妙さが消されてしまうから。

 

終盤の男主人公の大演説を、女主人公は「死にかけの母に寄生して恥ずかしくないのか」と批判し、一度は奢られたランチ代金を、キッチリと割り勘分だけ、毅然として支払います。あそこは非常に痛烈なシーンとして、僕の眼には映りました。

  

知らない内に依存体質になってしまう。理屈を並べて、そこと向き合えない。

あのドラマは、ニートやひきこもり系の若者に対して、非常に強烈なメッセージを発していると感じました。

 

 

  •  ひきこもり問題とエンタメ表現

 

一方で…。

 

男主人公には、対人恐怖的な症状が出ていること(誇張して、あまり深刻ではないように表現しているところを、どう見たら良いものか…。エンタメ的な演出上、仕方がないのかもしれないけど…)。

 

「35歳まで働いたことがない人間を雇ってくれるところなんて、あるわけがないだろ!」という、男主人公の叫び。

 

母は身体が弱り始め、家に遺産はなく、今の生活を維持できなくなるタイムリミットが、刻々と迫っていること。

 

…それらの理由から、男主人公がホントになりふり構わず、パートナーシップ契約を結んでほしいと、女主人公へ「誠実に」頼み込む…。

(自分は一度も働いたことがないことを正直にありのまま告白しつつ、「家事も育児も全部する」「専業主夫として努力する」と訴える…)

 

 

これらは、ひきこもり問題の深刻なところを、こすってきたな、と感じます。

 

先にも少し触れましたが、誇張表現がその深刻さを殺いでいることについて、考え込んでいます。

ひきこもりの問題は、本当は、コミカルにはとても描けないような、深刻な問題です。

深刻なひきこもりで追い詰められての家庭内暴力事件は、表に出てこないものも含め、多々あるはず(親が子どもを殺す、もしくは子どもが親を殺す事件がときどき報道されますが、あれは間違いなく「氷山の一角」です)。

長年のひきこもりによる対人恐怖的な症状も、根性論で何とかなるようなシロモノではないケースが、多々あるはずです。

ちなみに、これは何も男性/息子だけの問題ではない。社会には、女性/娘さんが同様の状況に陥っているようなケースも、世間の目に触れないパターンも含め、沢山あるんだと思います。

ドラマでは、この深刻さを殺いでいることが、想像力の欠如したニート・ひきこもりバッシングを生んでしまうのではないか、と危惧してしまう反面…。

コミカルにデフォルメされているからこそ、月9ドラマに耐えられるエンタメ性を維持していて、多くの人に問題提起する素材になっているのかもしれません…。

 

 

男主人公が理屈を並べて演説せざるを得ないのも、それ以外に全く武器がないからです。

そのぐらい、状況は逼迫している。

男主人公のあの滑稽な必死さは、以上のように理解したいなあ、と思いました。

 

 

それにあの演説の理屈には、確実に一理あるのです。

「働けない人間に価値がないとするのは、おかしい」

僕も、全くその通りだと思う。ただ、後述の点だけが、僕にはひっかかった。

 

 

次回予告では、女主人公が男主人公に、働かないと選択をしたのはなぜなのか、と質問するシーンが映ってましたね。その理由が何なのか、僕もとても知りたいので、次回が非常に楽しみです。

 

 

  • プライドと選民意識

さて。ひとつのことが、とても気になっています。

 

それは、「男主人公は、プライドが高いのか? それともプライドを棄てているのか? 」というところです。

 

行動から見ると、プライドを棄てているようにも見えます。

自分がニートであることも包み隠さず告白。

なりふり構わぬ土下座。

専業主夫をやりますから、どうか寄生させて下さい」と、ここまで下に降りていける人も珍しい(そこにはファンタジーさを感じますね)。

  

一方で、自分は「高等遊民」であると主張し、周囲の大衆・愚民とは違うと言い張る。

この、強烈な、選民意識。

 

新たな結婚/共同生活観を創り出そうと主張する男主人公*1

 

しかしその根底には、「自分は他より優れている」と信じる強烈な自意識があり、行動を支えている。

 

世間の多数派の男性観から見ると、それとは真逆な、男らしくなく、競争する気もなく、プライドを捨て切った行動をしているようにも見える男主人公。

しかしその底には、「自分は上なんだ」と思い込む精神が潜んでいる。

こんな、捩れた構造がある。

 

 

僕は、このドラマの作り手が、この選民意識こそを批判し、そこから抜け出す道を提示しようとしているのかなあ、と思いました。

新たなジェンダーセクシャリティ観を紡いでいこうとする人が往々にして陥りがちな罠。それが、この選民意識なのではないか。

自分事として、以上のような問いが突き刺さってきました。

 

 

選民意識を底に潜ませた言葉や思考や行動では、他者/自分と向き合うことはできない。

女主人公が「(話しの内容は)理解します」と述べつつも、パートナーシップ契約の相手としては拒絶をし、男主人公の元から去っていったように。

  

男主人公は、この女主人公の行動から学び、自らの選民意識に気づき、そこと向き合って、闘わなければならない。

  

…ということで、今後の展開では、男主人公が自らの選民意識と向き合い、格闘し、それを超えていく過程が描かれていってほしいな、と勝手な期待をしています。

 

もちろん、女主人公の方も、大事な問いにぶつかり、乗り越えていくのでしょう。こちらに注目して見ていくのも非常に面白いでしょうね。

自閉特性を持っていること。

女性であること。

家族主義。

そしてやはり、内なるプライドとの格闘…。

僕がペラペラと語りながら考えても良いのですが、女主人公に関しては、どなたか別の方の感想を聞きたいなあって思っています。

というか、僕は男主人公にどうしても憑依してしまうので…。

 

…そうなのです。このようにドラマの感想をブログで一方的に書き散らかしている僕こそ、自室で小説や映画を見ては勝手に独白して過ごす男主人公の、似姿なわけですね。

全くもって、あの男主人公は、他人とは思えぬ。

 

それにしても、本当によくできたドラマだなあ。

つか、僕は普段ドラマなんて全く見てなくて、こんなふうに第一話からドラマを見るなんて、ほぼ始めてなんですが。

日本のエンタメ表現界ってマジすげえ。

 

下等遊民の僕には、来週が来るのが、とても楽しみです!

*1:恋愛観については、両主人公とも今のところ、「恋愛をしたくなくても偏見を受けない社会であれ」ということ以上の主張はしていません(「恋愛不要者」許容論?)。でも、今後の展開では、恋愛を単なる不要なものとしてだけ捉えるのではなく、「新たな恋愛観」を男主人公と女主人公が創っていこうとするのではないか、と予想しています。ドラマの題名が『デート』なのですから、きっとそうなっていくと思っているのですが…。