痴漢問題に対する、今後のアプローチ方針

前記事をまとめた上で、今後の僕なりの思考の方針を、メモ的に。

 

 

僕自身が、今後集中して考えてみようかなあ、と思っているのは…

 

痴漢被害の事実を語り辛い/聞き辛い状況を改善することについて」。

 


痴漢被害のほか、幼児の性被害や、その他の性暴力被害のことを話題にすると、聞く側の人が…

 

あたかも「自分も責められている」という感覚になって…

 

まともに取り合わなかったり、激怒したり、二次被害を及ぼすような助言・発言をしたりする…

 

…どうも、そんなケースが多発しているようです。

 

 

 


周囲の人がこのような反応をしてしまうからこそ、被害に遭ったり、被害を避けるための対策を考えたいと思った人は、そのことを全く周囲に相談できなくなる。


悪循環なのは、例えば痴漢被害に遭った場合、こういう環境のせいで尚更「手間がかかる」と思ってしまう(その通りなので、責められない!)ために、周囲に被害の事実を訴えることなく、被害の事実が隠れてしまうこと。

 

すると周囲の人は、そういう事実があったことも知らず、ろくに考えることもなくて、無関心のままになる。新たな被害が次々生じても、この構図はずっと変わらない。


語りながら考えることのできる空間がどんどん縮小していき、人々は萎縮しながら不安や恐怖心ばかり煽られ、残るのは「他者への不信」ばかりです。

 

この「不信の体系」ばかりが強化されていく構造にこそ、つっこんでいきたい。

 

 

痴漢の事実が疑われたら、じっくりとその場で対応をして、そのために学校や仕事を遅れたとしても、仕方がないとする。そういう文化を、学校や職場で育むこと。

 

学校の同級生や職場の同僚、家族や友人・知人に、痴漢の被害があった事実を伝えても、過剰に受け取られず、もしくはスルーされることもなく、その事実(を知ること)によって生起した自分の心情を、言葉でアサーティブにやりとりできて、互いに理解し合えるような、そんなやりとりを関係の中で作っていくこと。

 

誰もが快適に生活するためには*1、こういったやりとりの労力が柔軟に認められるような「ゆとり」や「余白」、「穏やかさ」が、電車内は勿論、学校や職場などの空間や、家族や友人知人の関係の中で、必要な気がします

 

 


さて、僕の場合は特に、男性が性暴力関連の話題を耳にすると、「自分も責められている」という感覚になってしまう構造にこそ、分析のメスをもっといれていきたいと思います。

 

このようなアプローチの参考になるのは、例えば以下のような記事だと思います。


第1回 第三項としての「研究」■ 湯浅 誠|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

「責められている」と感じてしまう構造分析と同時に、このような萎縮した感性を解除して、他者へと開いていく契機についても、考えていきたいと思っています。

 

これは、田房永子さんが提起してくれた、「怒男性」(どだんせい)分析という宿題を、今後あらためて意識するということでもあります。


『膜』問題と『怒男性』⇔『ネガ男性』 - まくねがお のブログ

 

 

 

 

この宿題を考えるための素材を、最後に列挙しておきます。


痴漢被害の実感と危機意識、危機管理についてのまとめ - Togetterまとめ

 


子供の性犯罪に対する夫婦間のズレ - 田舎で底辺暮らし

 

 

 

*1:痴漢冤罪対策のためにも、ひとつひとつの事実が、焦らずゆっくりと正しく検証されるはずだという安心感こそが必要な気がします。