二村ヒトシを読む①

痴漢考察は、また後日に*1

 

 

ツイッターでの勢いに乗じて、以前下書きしていた分をアップしてしまいます。

 

 

 

 

以下の二つの本を読み、考えこみました。

 

『すべてはモテるためである』(文庫ぎんが堂、2012年)、以下、『モテため』とします。

 Amazon.co.jp: すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂): 二村 ヒトシ, 青木 光恵: 本

 

 

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(文庫ぎんが堂、2014年)、以下、『なぜ好き』とします。


Amazon.co.jp: なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂): 二村ヒトシ: 本

 

 

いずれも文庫で、安く手に入ります。

 

このブログのコメント欄で、あいさんから二村ヒトシのことを教えてもらい、注文してみたのですが…。いやはや、これほど強烈な読書体験になろうとは。あいさん、ありがとうございました。

 

 

 

凄い本でした。


一ヶ月ほど前に購入し、その文章を眼で追いつつ、自分に折り返して考えようとしながら、必死に、でも夢中で読んでいきました。


読後、他の色んな文章を読んだり、他の人の話しを聞いていても、かなり頻繁に、二村さんが書いていたことを思い浮かべてしまう。


「ああ、この人も『心の穴』からこんなことを語っているのかな」


「じゃあこの人の『心の穴』って、いったいどんなもんなんだろう?」


「では、この人の言葉に触発される、僕の『心の穴』って…?」


…などと。


それぐらい、僕にとっては強烈な読書体験でした。


これから、二村さんの文章に伴走しつつ、書きながら考えていきます。


長文ですので、何回かに分けて、記事としてアップしていきます。

 

 

まずは『モテため』と『なぜ好き』が書かれた経緯を。


この二冊の本を書いた著書、二村ヒトシさんは、AV監督です。


そして、この二冊は、いずれも元になる本があり、それが時代に合わせて再出版され、そのたびに加筆修正されたものです(以下、引用は『モテため』から)。

 


最初は1998年、『すべてはモテるためである』(KKロングセラーズ、以下『1998年本』とします)が出版されます。


この頃の二村さんは、全くモテていなかった、と回想します。


この最初の本を執筆していたときは「『駆け出しのAV監督』ってかんじ」だったそうですが。


この本の出版後、二村さんは、「【女性が男性を犯したり、能動的に愛したりするセックス】や【女性と女性が愛し合うセックス】を撮影」するようになり、その道の権威として名が売れていくことになりました。


2002年、『1998年本』が文庫化されます。その際に書名が変更され、『モテるための哲学』(幻冬舎)として出版されました。


この本の内容は、非常に哲学的で、思索を深めるために非常に優れた本でした。二村さん曰く、「この本を『届くべき読者に届く本』に」するため、書名変更をしたんだそうです。

 


この2002年の出版後、「そのころから僕はモテはじめた」と二村さんは回想しています。

 

原稿を書いていたころはモテていなかった。もともと【自分がモテているから自分が「できていること」を人におすそわけする】ために書いたのではなく、自分がモテてないからモテるようになるために「するべきこと」を書いたのだった。書くために考えて、多くの人に読んでもらって、やっと身についたのだと思う。

 

 

二村さんには、モテない自分に対する自己否定感が物凄く強い。僕も『モテため』の初読時に、読み進める途中でそのことに気づきました。


『モテため』では、モテたいのにモテない、二村さん曰く「キモチワルい」男性を、徹底的に挑発していきます。


徹底的に、「モテる奴」/「モテない奴」、「キモチワルくない奴」/「キモチワルい奴」の二つに分け、その上で後者を激しく叩き潰していく。強烈な否定の言葉の数々。


2014年現在、非モテのメンタリティを持つ方が、この本を本気で読もうとすると、嫌な過去を思い出したり、深く傷ついたり、死にたくなったり、怒りで我を忘れるような感情に囚われてしまうかもしれません。


僕も、メンタルが元気な午前中に読んでいるときは良かったのですが、午後になってメンタル的に落ち込んでるときに読むと、ネガ男性が発露して発露して、もうヒドかった…。


この、人を傷つけようとする激しい言葉の数々は、いったいなんなのか。非モテ男性がそんなにキライか。そんな気持ちで読んでいたのですが…。


しかし、注意深く読み進めていくと、二村さん自身が自分のことを、モテないキモチワルい奴だと認識していることが分かってきます。P38からの、「モテてる奴」と「モテてない奴」の分類で、自分が「モテてない奴」だと位置づけているからです。


強烈な否定の言葉の数々は、二村さん自身への、自己否定の言葉だったのか。そう思って、読み進めていきました。

 

 

 

さて。


二村さんは本を書くことでモテるようになりましたが、しかし「しばらくすると【モテているのに、心が苦しい】という状態にな」り、女性に対する「【加害者意識】が、つのりはじめた」のだそうです。


2011年、『恋とセックスで幸せになる秘密』(文庫ぎんが堂、以下、『2011年本』とします)を書きます。これが『なぜ好き』の元の本になります。


『2011年本』は、基本的には、二村さんがモテたことで寄ってきた女性に対するアドバイス、というスタンスで書かれました。あくまで、2011年時点では。


その出版後、「何人かの女性から『優しい本ですね』と言ってもらったけれど、作家の中村うさぎさんからは『ここには二村さん自身が全然でてこないじゃないか』と言われた」そうです。二村さん自身も、「そういう意味では、たしかに卑怯な本だった」と述べています。


僕はここで、font-daさんの『2011年本』に対する書評を参照したいです。

 


二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密」 - キリンが逆立ちしたピアス

 

 

…と、ここまで。

 

あとはまた後日、書きながら考えたいと思います。

 

 

 

*1: name8nameさんのブログを読み、痴漢について、いや自らの性的欲望について、再び考えこんでいます。name8nameさんの論理力・内省力は本当に凄い。分析も本当に示唆に富みます。心から敬意を表します。name8nameさんが先日提示した問いは、強烈な批評点として、僕自身にも食い込むことになりました。僕も、name8nameさんと同じようなテーマを、同じような方法で書きながら考えようとしましたが、何度か頓挫しています。

 自らの内面での、「安全で安心な性的ファンタジー」の中でなら、男性の暴力性に伴う加害者的な欲望を満たしても良いのか。これは僕が、僕自身にとって向き合いたくない加害者的な性的欲望と、真正面から向き合いながら考えるべきであると思っています。