「自己否定」を飲み下す ―『デート』最終話感想①―

下等遊民ねがお、最後のウンチク。

 

このドラマを未見の方は、よくわからない内容となっていると思います。ご容赦ください。

これからこのドラマを見ようと思っている方は、ネタばれ満載になっておりますので、見ないことをオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 劣等感と自己否定

まず、最終回の結末を踏まえて、このドラマが描いていたテーマとあらすじを、簡潔に整理してみます。

 


依子は、他人の気持ちを共感的に理解することができず、家族以外の親しい人(恋人や友人)を作ることができない自分に、劣等感を持っていた。

巧は、父を侮辱されたことに傷つき、他人が怖くなってひきこもりとなり、そんな臆病な自分に対して、劣等感を抱いていた。

 

互いの弱さ。互いのコンプレックス。このふたつが偶然、出会うことになった。

依子は、巧の繊細さと、その誠実さに魅かれた。

巧は、依子の苦悩と、その真っ直ぐさに魅かれた。

互いの「心の穴」(二村ヒトシ)に、お互いが偶然、触れてしまった。

「心の穴」に触発され、自分以外の誰かのことを想ってしまう。そんな欲望が、ふたりの間に宿っていく。

 

 

依子と巧は、互いに相手の幸せを、強く願うようになった。

しかし、依子も巧も、自分に自信を持つことができなかった。

自分がパートナーになって、相手を幸せにできるとは、とても思えなかった。

自分が相手のパートナーになろうと、一歩を踏み出す勇気も、湧いてこなかった。

その底には、ふたりとも、根深い「自己否定」があった。

 

境遇も特性も性格も全く異なるふたりだったが、唯一共通している点。

それは、心の底で、自分に自信を持つことができず、自分を愛することができない、内なる「自己否定」に囚われているところだった。

 

 

  • 間接的な「告白」と、「自己否定」の飲み下し

ふたりは、そんな互いの本心を、直接伝えあう勇気も持てず、その機会もなかった。

 

しかしまるで、できすぎのドラマのように、様々な偶然が重なって…

最終話で、追い詰められたふたりは、互いの本心を吐露せざるを得なくなる。

互いの幸せを願うからこその、ギリギリの極限で。

これが、勇気を持つことができないふたりの、間接的な「告白」となった。


最終話の冒頭に、老女から差しだされるリンゴ。

恋が「禁断の果実」であるという比喩でもあるだろうし、白雪姫の魔女が差しだす毒リンゴのことも連想してしまう。


恋とは、苦しいものである。踏み出すと、一生苦しめられる。苦しみたくないなら、決して、このリンゴを食べてはならない。


「心の穴」に触れる恋は、互いの「自己否定」を抉り合うことになる。

覚悟して、恋に踏み出そうとするならば。

苦しみながらも、内なる「自己否定」を受けとめ、飲み下そうとする、その勇気が必要となる。

 

依子は、巧の告白を聴き、やっと自らの「自己否定」=リンゴを齧り、飲み込みはじめる。

巧も、依子から差しだされたリンゴを、応じるかのように力強く齧り出す。

互いの告白とその行為に応じ合うことで、自らの「自己否定」を、お互いに、やっと飲み下すことができていく…

 

 

以上が、僕の読みとった、このドラマのストーリーでした。

第一話の依子と巧の意気投合の場面と、最終話の間接的な「告白」からリンゴを齧り合うシーンは、本当に素晴らしいと感じました。

 

 

  • 良いお客さんとしての僕

僕は、『デート』を毎週見ていて、いつも良い意味で予想を裏切られ、ずっと楽しく見ていたのですが…。

第7話や第8話くらいの頃、僕はこのドラマが「結局は、世間のフツーの恋愛を賛美するだけのものである、全くもってケシカラン!」と思い込んでしまいました。

それで僕は本当に、プンプン怒っていたのです(ツイッタ―で)。

でも、最後の最終話で、またしても僕が完全に予想を外されて、うまく騙されていたことに気づきました。

 

結果から言うと、『デート』は、フツーの恋愛をただ賛美するだけのドラマでは、全くありませんでした。

むしろ、恋愛することは苦しいし、グダグダになるし、何度も目も当てられないような失敗を繰り返すことになる…。

世間で喧伝されがちな「キラキラした恋愛」は幻想にすぎないよね、ということをはっきりと描こうとしたドラマでした。

と同時に、グダグダになりがちな、苦しく辛い多くの恋愛を、「自己否定」と向き合っていく契機として前向きに描こうとする、ラディカルで挑戦的なドラマだったと思います。


プンプン怒っていた僕は、ある意味、完全に騙されたわけで…。

思い返すと、かなり恥ずかしい。今から考えると、最後の最後にひっくり返す展開だって、当然あり得るのに…。

きっと僕は、このドラマの良いお客さんだったのでしょう。凄く楽しませてもらいました。

 

なお、僕が完全にだまされた理由として…。

基本的にこのドラマ、「展開を読ませず、最後にネタばらし」って構造を、一話完結でやってきたんですね。第7話ぐらいまでは。

それが、第8話以降では、話数をまたいで、最終回に向けた複線をはっていたんですねえ。最終話見て気づいたよ。

「一話完結でスッキリ驚かす」というクセをつけておいて、最終回にはそのクセ自体を利用して、もっとも大きな驚きを演出する…。

いや、すげえわ、作り手の人は。脱帽です。

 

 

もう少しだけ、書きながら考えたいことがあるので、続きます。

 

 

 

 

 

 

 

さいごに、こそっと余談。

 

name8nameさんのブログ、最近また新しい記事が更新されましたが、非常に面白く読んでいます。

誤解する人は、そのブログが性生活の単なる暴露のようにも見えるかもしれませんが、そうではない。

自らの性を、透徹に分析しようとする強固な意志を感じます。男性として、自らの性が持つ暴力性についても目を背けず、正面から言語化しようとしている。これって、本当に難しいことだと思います。

男性の中で、自らの性のメカニズムを、ここまで赤裸々に、ありのままに分析できる人って、滅多にいないのではないでしょうか。

僕も自らの性のメカニズムを見つめたいと思っているので、name8nameさんのブログは、本当にありがたいです。いつも、勇気をもらっています。