寂しさと、共に笑い合う町 -映画『ひいくんのあるく町』感想

ドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』を見る。http://hikun.mizukuchiya.net/


舞台は山梨県の小さな町。知的障害の男性「ひいくん」が、町の中でいきいきと生活している様が描かれていた。

 

 

この映画は、言葉ではあまり説明しない。映像によって、様々な事象を豊かに表現する。


田んぼの水面にうつる、空の景色。

町を黒と橙の切り絵にするような、夕暮れ時。

入り口からの強い日差しに、眩しく照らし出された、昔の面影が残る店内。

歩く「ひいくん」と共にある、商店街の通りや数々の路地の佇まい。


町民が描いた水彩画の絵や、「伯父さん」が撮った写真は、昔の町の様子を示してくれる。その静止画と重ねるようにして、同じ場所の今の様子を、カメラの映像が映し出していく。


手法はきっと、どれも基本的なものなのだろう(僕は映像表現に詳しくないので、テキトーな想像だけども)。そこで捉えられた数々の映像に、僕は美しさを感じた。派手さや衒いはない。素朴な、その町の、そのときの、そこではありふれているのだろうが、常にすでに美しい瞬間。

 

 

また、僕はいま、知的障害の方の介助の仕事をしているのだけど。

その経験とも重なって、色々思うこともあった。


僕の働く職場は、僕が生まれ育った町、札幌の中央区に位置していて、その地域で暮らしている障害のある方々(メンバーさん)が、僕の働く施設へと通所してくる。

僕のいる通所施設は、なるべく地元の地域へとメンバーさんが出ていけるようにする、そんなコンセプトを持っている。だから午前の仕事の時間も午後のレクの時間でも、メンバーさんと共にスタッフである僕たちも、せっせと地域へ繰り出していく。

すでに20年近い実践の蓄積もあって、施設のご近所の方々との、暖かい付き合いはある。施設から歩いてすぐの小さな公園では年に一回、町内会の方々と一緒にお祭りを開いていて、障害のある方もない方も、自然に一緒に時間を過ごすような機会もある。

だから、この映画を見て、僕の職場で出会う光景と近いものも感じた。感じたのだけど…。


やっぱり、大きな違いもあって。

ひいくんも、ひいくんに関わる町の人たちも、そこではまったく構えていないのだった。

町の人々は、立ち寄ったひいくんに、やれる仕事をお願いしたり、世間話やちょっとしたやりとりを交わしていく。僕の職場から見える景色よりも、もっともっと自然に、日常の延長線上で共に暮らしている感じ。それに比べると、僕の故郷の地域は、より明確に境界線が引かれている。健常者と障害者との、暮らす世界を分かち断つ、その分断線が、くっきりと。

札幌という都会の町にいて、すっかり「福祉サービス」感覚に慣れた僕の心は、映像によって解きほぐれるようだった。

こうやって、分離・隔離もされず、障害のある人々が町の人々と自然にやりとりできさえすれば。きっと、家族内や施設内で押し込められて生ずる数々の苦痛・苦境や悲劇も起きないのだろうし、介助者のバーンアウト・定着困難や早期離職、人手不足も起きないんじゃないだろうか。

僕はそう思ったし、この映画を見た人は、誰もがそう感じるんじゃないか。そんな自然なインクルーシブを感じられる光景を、映像で実際に確認できて、なんて力のある映画なのだろう、と心の中で唸ってしまった。

 

 

この映画は、理想的な側面ばかりを切り取っているわけではない。現実を静かに映していく。

映画中盤、ひいくんと同居する母親や姉の語りの場面がある。自分たちが見れるうちはギリギリまで、ひいくんとこの町で生活したい。が、どうにもならなくなったら、ひいくんの施設入所も考えている。それは今に始まったことではなく、ひいくんを施設に入所させるか否かの葛藤は、以前からもずっとあった。そしてその葛藤は、いまも現在進行形で持続していることが、その語りから分かってくる。


この町が理想郷なわけでもまったくない。障害者や要介護者に差別的で、健常者中心主義的なこの社会では、確実に存在してしまう矛盾。それは他の町に住む人々と同様に、ひいくんや家族たちを常に引き裂き続けていたのだった。

 

 

そして、この映画の最も凄いところは、「伯父さん」のドキュメンタリーと、ひいくんのドキュメンタリーを交差させていく終盤にある、と感じた。

「伯父さん」とは、映画監督の実の伯父さんであり、この町でずっと電気店を営んでいた男性のことである。30代の写真の中の伯父さんの顔は、いきいきとして元気に溢れ、働き者だったという語りを何よりも雄弁に裏付けてくれる。

しかしその伯父さんも、数年前に脳梗塞を発症し、今では認知症を患っている。電気店は閉めざるを得ず、伯父さんはいま、リハビリに励んでいる。そんな伯父さんの今の様子を、カメラは映しているのだが、僕はまず、そこに悲哀さを感じなかった。伯父さんは映像の中で、苦しそうにリハビリに励む様子こそ見せるが、趣味の写真について妻と共に(…というか、妻が中心に)語っていたときの伯父さんの表情などは、とても穏やかにも見えた。伯父さんは静かな余生を過ごしているのかな、という程度の感覚しか、当初の僕は抱いていなかった。


その僕の感覚が思い違いだとわかったのは、伯父さんが堪え切れず涙を流すシーンでのこと。

伯父さんの弟が、町の商店街の仲間に呼びかけ、1日だけ電気店のシャッターを上げ、店開きをしてみることになった。

伯父さんの弟らは、その電気店をフリースペースのようにして、町の集いの場にし、伯父さんにもかつての元気を取り戻してもらおう、そんな思惑を持っているようだった。

ただ、伯父さんの弟も商店街の仲間たちも、みんな伯父さん本人の様子を、何よりも気遣う様子を見せていた。


負担になるかい?

今日、シャッターを開けて、大変だった?

フリースペースのことは伯父さんのためになれば、と思ってのことだから、負担になるんだったら…。


伯父さんは、しばらく口ごもっているような様子だったが、仲間たちとやりとりするうちに俯き、ついに涙を抑え切れなくなる。

(このとき、商店街の仲間の女性が横で軽口を叩き続けているのも、なんとも言えず良いシーンだと思った。場が湿っぽく、重くなり過ぎないようにする、自然で素朴な配慮なのだろう)


認知症後の伯父さんの生活は、やはり寂しいものだったのだ。あの涙はもちろん、弟や仲間たちの暖かい気遣いが嬉しかったこともあるだろう。しかし、それだけでもないのだと思う。認知症となり、身体も衰え、活躍できる場が失われた。かつてあった、町の人々との交流機会も著しく減った。そのことへの、痛いほどの寂しさ。伯父さんの落涙で、僕はその寂しさを痛感した。


伯父さんは、電気店を営んでいた頃、町を歩くひいくんと頻繁に交流していた。なんの打算もなく、自然に。それが電気店閉店後は、ひいくんと会うこともなくなり、全く交流しなくなってしまった。ひいくんとの交流機会は、伯父さんがこの町の人々と盛んに交流していた機会と、パラレルの関係にあったのだった。


映画は終盤で、ひいくんと伯父さんが久方ぶりに言葉を交わす瞬間を捉える。町は、若者が出て行き、高齢者ばかりになりつつある。店も潰れ、衰退しつつあることは紛れも無い。しかしこの町は、ひいくんを自然に包み込んできた歴史があり、それは町の人々と、何よりもひいくん本人が成し遂げてきた蓄積だった。それを映像は確実に掴んでいた。

 

 

伯父さんが要介護状態になって以降、実はずっと直面していた痛みと寂しさ。圧し殺していたその問いが、露わになる瞬間があった。それはきっと、少子高齢化の日本社会の各地で生じ得る事態だ。

この映画の映像から、各地で問いを露わにして、それを開いていけないだろうか。


渡邉琢さんが書いた本、『障害者の傷、介助者の痛み』。

その中に、障害者介護と高齢者介護を交差させる考察がある。

 

「よくよく考えれば、今の介護保険に見られる問題点、たとえばサービスの絶対的不足、施設偏重、家族介護前提、本人不在というのは、何十年も前から障害者たちが直面していた問題と同じと言えば同じであろう。

いや、障害者のおかれた状況は今の高齢者のおかれている状況よりよほどひどかったであろう。少なくとも高齢者は、そこそこまわりの人に承認されてきた人生を生きてきた後、人生の終わりの方で今の問題に直面するのに対して、障害者は生まれたときから、社会のメインストリームから外され、その問題に直面してきたわけだから。

家族介護前提、介護殺人、介護心中、施設増設、地域サービスの不在というのは三〇、四〇年前に障害者たちがその人生の初めから直面していた問題であった。それを突き破っていったのが、障害者の自立生活運動(あるいは障害者解放運動、介護保障運動)だったわけだ。現在、介護保険に比して障害者福祉制度が充実しているのには、障害当事者による長年の運動の歴史があったからである。

とすると、現在の高齢者介護の状況を打破するポイントは、「高齢者介護保障運動の可能性」いかんにあるのではないか。

介護保険制度そのものは、地域でいつまでも生き続けたいという高齢当事者の思いからつくられたものではない。障害者福祉制度だって、もともとは当事者不在でつくられていたものだが、運動によって少しずつ、当事者たちの声が制度に反映されるようになってきたわけだ。

厳しい高齢者介護の現状をいくらかでも改善していくものとして、高齢者介護保障運動の可能性は、どれくらいあるだろうか?」

(渡邉琢(2018)「障害者介護保障運動と高齢者介護の現状」『障害者の傷、介助者の痛み』p.254-255)

 

 

先日僕も参加した、札幌のメンズリブの集まりでは、中年男性の健康問題と、親の介護の問題のことが話題に上がっていた。いつかこれらの問いを、当事者として語り合おう、という話しにもなった。


介護をいつか受ける、未来の当事者として。


息子として介護する、未来の当事者家族として。


僕がたまたま出会った障害者介助の世界からも学びを得て、それらを混ぜ合わせるようにしながら、この町で暮らす人々と、豊かな語り合いの機会を持っていきたい。僕たち自身の問題≒問いを開いていくために。そして、次の世代にバトンを渡していく第一歩として。ゆっくりぼちぼち、とぼとぼと。

 

 

昨日の映画観賞会は、友人同士の集まりとして開かれた、とてもささやかなものだったけれど、しみじみ良かった。

老若男女、障害のある人もない人もいる、ごちゃまぜの空間。

小さな子どもの人もいて、自由に遊んでいた。そこには、笑顔がたくさんあった。

 

安易に希望を見出すのは危険だけど、深刻に考えるだけになるのも、違うと思う。

 

語り合ったり、言葉はなくとも共に時間を過ごしたりしながら、基本は笑い合ってこの町で暮らしていきたい。ごちゃまぜの、ごった煮の空間として。あの映画の映像の中で、伯父さんも仲間たちも、子どもたちも、ひいくんも、そうしていたように。

 

 

素晴らしい映画を見る機会を与えてくれた、みさきさん、きよさん、ゆうほさんに、次の言葉を伝えたいです。本当にありがとうございました!