キョドるマックス ―『マッドマックスFR』の物語について、書きながら考えたこと 1

第一章 僕のこと

 

 …昨日の夜、パートナーと深刻な口喧嘩をした。僕の被害者意識が原因で。

 

 相模原障害者殺傷事件。トランプ現象。マジョリティ(…って誰だ?)の人の心の中には、不安や不満が渦巻いているらしい。自らの不安や不満の底から目を背け、別の何かに憎しみ(=ヘイト)をぶつける。「自分たちこそが被害者だ」と。「本来あるべき何かを奪われている」と。「奪われそうだ」と。そんな不安や不満。その底にあるものとは何か。

 

 …僕は、子どもの頃、泣き虫だった。幼稚園にいた頃。五歳のときの記憶。クレヨンの箱を落とした。机の下の床に、クレヨンが散らばった。それだけで、僕は泣き出してしまった。

 …劣等感。なぜ僕は、すぐに泣いてしまうのだろう。周りの人は、誰もこんなことで泣いてないのに。

 

 …子どもの頃、父のことを「情けない」と思ったことがあった。車に乗っていた。父が運転していた。父が運転をミスしたのか、相手が乱暴な運転をしたのか、それは覚えていない。別の車から激しくクラクションが鳴り、その車に乗る男性ドライバーが窓を開けて、父を大声で怒鳴りつけた。父は、何も言い返せなかった。

 …「情けない」。そう思った。

 

 …はじめての離職経験。仕事を辞めた理由は、色々あった。そのうちのひとつ(…?)。胸に棘が刺さって抜けないような記憶。50代の男性の同僚のこと。

 …見るからにうだつが上がらない。押しが弱い。仕事ができない。職場ではいつも小さくなり、事なかれ主義で、逃げ腰で、とにかく定時で帰ろうとする。慢性的に残業している周りの同僚から、「あいつは仕事ができないくせに、すぐに帰りやがる」と軽蔑されている。その人は上司から仕事を振られて、肩を落として時々残業している。いつもヘコヘコしている。

 …その人を見て僕は、「ここにいると、いつか僕も、ああなるのだろうか」とぼんやり思った。そして、「ああはなりたくない」と、強く思った。

 

 …僕の今。他人が怖い。他人からの、何が怖いのだろう。軽蔑されて、嫌われることが? 攻撃されることが? よく分からない。人の顔を見ることができない。どんな人に対しても、基本的には内心、ビクビクしている。オドオドしている。僕の心の中にある、慢性的な挙動不審。キョドっている。

 …このキョドりは、僕の外に出ていないだろうか。他の人に、ばれていないだろうか。

 …辛くて辛くて、もう消えてしまいたい。

 

 これがきっと、僕の本心。こんな「怯え」は、僕の核として、常にある。

 

 おそらく、僕の核は変わっていないのだ。五歳のあの頃の僕と。クレヨンを落としただけでも泣き出した僕。その後、小学生となり、一年生の一年間を学校で泣かずに過ごすことができた。それで僕は、僕の心の中にいる「泣き虫な男の子」を、殺すことができたと思っていた。思いこんでいた。でも、あの僕は、死んでいなかったのだ。オブセッション。取り憑かれ、いつも回帰してくるもの。

 

 どうも、今の僕の中にある被害者意識、不安や不満は、僕個人のことで言えば、僕の根底にある「怯え」から来ているのではないか。

 

 …その「怯え」を外に出すな。堂々としてあれ。

 

 でも、僕の心と身体は、その命令に耐えられない。必死に蓋を閉じて、「なかったこと」にしようとしても、暴れ出して馴致されない、僕の「怯え」。僕の心の底にある「暴れ馬」。いや、「怯え馬」。馴致されない僕の「怯え」は、ついに形を変え、被害者意識として、蓋の外へと噴き出しているのではないか。

 

 …「怯え」とは、見つめようとすればするほど、恐怖心が増していくものなのだろうか。自意識過剰に「怯え」を意識すると、それはどんどん強まっていくようなものなのだろうか。だったら、「怯え」のことは考えず、「怯え」に囚われないための何かを、僕は身に付ければ良いのか。

 

 …必要なのは、堂々として負けない、そんな心と身体の強さなのだろうか。この「怯え」をもう一度、本当に殺し切り、それを「ないもの」にするような強さを、僕は目指せばよいのか。

 

 …こんなふうに、もやもやと、ぐるぐると考え込んでいると、映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の物語が、ふと思い出されてくる。

 僕は、登場人物であるマックスの「怯え」を、いつも敏感に掴み取る。僕の特殊能力。怯える心と身体の震えに共鳴し、憑依して、自他の区別はつかなくなる。マックスに接近させられては、僕との違いを何とか抉り出し、必死にマックスを突き放す。そしてまた、マックスに接近する。この繰り返しの中で、いったい何が見えてくるだろうか。

 マックスが怯えてキョドり、取り乱すとき。それは、物語の前半と、終盤にもう一度、顕れる。マックスの「怯え」は、物語の中盤で表向きは消え去ったように見えるが、終盤に再び、姿を見せる。その瞬間、「怯え」と共に湧き出した言葉があった。このマックスの「怯え」と言葉とは何か。

 

 「怯え」という、僕の固有の弱さ≒武器を、非暴力的に開きたい。この世に、善用できないものなど、なにひとつない。「善用のできないもの、自他を同時に生かすという意味での<善>になりえないものは、ほんとうは、何一つない」(杉田2016、p.271)。そう祈りながら、引き続き書きながら考え、その言葉を留めていく。

 

 

<引用・参考>

杉田俊介(2016年)「宮崎駿の「折り返し点」4 ―『もののけ姫』論本陣」『すばる』2016年7月号