男性社会への抵抗と共闘 ―『問題のあるレストラン』第4話感想
ちょうどつい先ほど、ドラマ『問題のあるレストラン』第4話を見終えたところです。
とても面白く、考え込まされたので、見終えた直後の感想を書き留め、書きながら考えてみたいと思います。
このドラマを見たことがない方には、以下の文章を読んでも、よくわからない内容になっていると思います。不親切ですみません。
また、ネタバレばかりですので、未見の方で今後このドラマを見ようと思っている方は、以下の文章は読まないことをおススメします。
なお、『問題のあるレストラン』をまだ見ていないけど、これから見ようかどうか迷っている方は、まず第4話を見てから決めるっていう手も、あるんじゃないかなあって思いました。
このドラマの趣旨が、象徴的に詰め込まれている回なんじゃないかなあ、第4話って。
さて、「喪服ちゃん」メイン回のこの第4話では、僕にカタルシスを期待させ、その期待が徹底的に破壊されてしまうポイントが、大きく言ってふたつありました。
- 素朴に残酷な男性
ひとつめは、喪服ちゃんと良い感じになる男性、「星野」が、最初はあたかも誠実な人間であるかのように思わせる展開。
ドラマ前半の星野の、あの素朴で裏表のない感じ!
それで一瞬、星野に対して男性の暴力性を内省しようとする誠実さも期待した、僕自身の馬鹿さ加減が、ドラマを見終えた今では本当に悔しいです。バカ! ねがおのバカ!
…多分星野も、ある種のバカなのでしょう。
深くは物事を考えずに、性欲の解消や狩りの勝利感、現在の辛いことからいったん逃れられそうな快楽を、反射的に追求するタイプ。
このドラマにおける、星野という人物の描写は、見事に思えました。
若いが故に、素朴でもあり、残酷でもある。
自らの男性性の暴力を内省する気配もない、ああいう男性は、確かにいると思う。
…もちろん、他人事ではありません。
あの無邪気で調子の良い感じ…、僕自身の内側に、今でも巣食っているような気がする。
そして油断していたら、その無邪気さの延長線上で、僕もいつでも残酷な暴力を振るってしまうかもしれない。
…いや、今後の話しだけではありません。
すでに過去、僕も暴力を振るっていたでしょう。
自らの権力性に無自覚だった幼い頃の僕は、星野のようなかたちではなくとも、違うかたちで、ヘテロ男性ではない人々へと有形無形の暴力を振るっていたはずです。
ヘテロ男性である自分に無自覚に、この社会で生きることは、それがそのまま暴力へとつながる…。
- 明るい未来が潰えた瞬間
僕のカタルシスへの期待が粉々に破壊されてしまった、第4話のもうひとつの場面。
それは、味のわかる客にレストランが認められ、誕生日ディナーが成功するかのように思わせていくところでした。
もちろん、見ていて途中から、嫌な予感はしていました。
客が料理をしきりに褒め、タマコがそれを本当に喜んでいるシーンが、何度も何度も強調されるあたりで。「ま、まさか…」と。
そして、画面にケーキが出てきたあたりで、先の展開を薄っすら予想はしました。
でも、予想をしつつ、それでも「喪服ちゃん、それだけは止めてくれ…!」と心の中での悲鳴が止まらなかった。
タマコの、このレストランの、明るい未来への希望を、どうか壊さないでくれ、と。
僕の(勝手な)期待もむなしく、遂に川奈さんへと喪服ちゃんがケーキをぶつけ、ふたりが揉み合っている様子を、テレビ越しに呆然と眺めながら…。
頭の中では色んな思いが駆け巡り、心の中で戦慄していました。
女同士で闘わされ、潰しあわされている状況の、そのあまりの壮絶さと悲惨さに。
- このドラマが描いているもの
男性たちは、力で持って傲然と女性の前に立ちはだかり、自らの立場を内省するどころか、自らの権力性に気づく素振りも見せない。
あらゆる男性が、女性の目の前に立ちはだかり、力で屈服させようとし、弱そうに見える女性を利用しては、使い捨てようとする。
一見、理解者に見えそうな男ほど、あやうい。
人生の局所で、最も傷を残すようなかたちで、男性は弱味につけこんで、女性を裏切っていく。
あらゆる女性の闘いは、敗北を運命づけられている。
殴り返そうにも、その拳が全く男たちには届かない。
そして、やり場のない怒りが、自らの傍らで一緒に競わされている女性の方へと向かう。
近くにいて、自分よりも競争で優位にいるかのように見える女性が、あたかも最も憎むべき敵であるかのように見え、怒りの矛先がそこに向かってしまう。
この男性社会の理不尽さ。
その被害に見舞われ続ける受苦。
そこから絶え間なく生じる悲しみと怒り。
この噴き出してくる感情を、ぶつけずに済ませられるわけはない。でも、それをいったい、どこにぶつけたら良いのか。
…川奈さんへと怒りをぶつけた喪服ちゃんのことを責めることなど、絶対にできないと、一連のシーンを見ながら思っていました。
- レストランが象徴するもの
タマコは、去ろうとする喪服ちゃんを呼び止め、「がんばろう!」と呼びかけます。
喪服ちゃんはしかし、レストランを去っていく。
このところは、本当に素晴らしいシーンだと思いました。
この挫折の経験と、先への絶望感は、喪服ちゃんの今にとって大きい。大き過ぎる。今は喪服ちゃんは、レストランにいられないだろう。
でも、タマコの呼びかける言葉を、喪服ちゃんは聴くことができた。
だから喪服ちゃんは必ずまた、このレストランに帰ってくるだろうと思いました。
前話の第3話ぐらいから、レストランの存在が、僕にはとても美しいものに見えて仕方ありません。
男性社会から排除された者たちの、連帯と共闘の場としての、「問題のあるレストラン」。
男性社会からは「問題のある」とレッテルを貼られるような、このレストラン。
そして、その存在が逆に、男性社会を「問題のある」ものとして告発し、同時に男性社会に抵抗していく拠点の象徴になっている、このレストラン。
タマコの「がんばろう!」という呼びかけは、明らかに、男性社会による被害者全員に向けてのメッセージだと感じます。
ときに、互いが敵のように見え、互いに叩き合い、大きな挫折に遭って、先があまりにも絶望的にしか思えなくても。
それでも、一緒にがんばろう、一緒に生きよう、と。
- 抵抗しながら生きるために
この第4話が、本当に名作だなあと僕が思ったのは、レストランのみんなで一緒に、主題歌に合わせてリズムを取るシーンがあるからでした。
あのシーンではみんな、何だか少し必死そうで、真剣で、でもとても楽しそうです。
ともに生きていくことの素晴らしさを感じさせてくれるような、そんな甘美さを、あのシーンを見ていて感じました。
あのシーンを見ているだけで、僕は何だか元気が出てきました。
元気が無くなってきたときは、この『問題のあるレストラン』第4話を、もう一度見たいと思わされました。
僕は、男性社会の中で生きる、ヘテロ男性です。
加害者にも、加害者がなすべき、抵抗としての闘いがあるはず。
その抵抗の戦場で、自らをギリギリまで追い込もうとする、その絶え間ない闘いを、僕自身が継続していくための元気を、このドラマから今後も貰いたいと思いました。
- オマケ
喪服ちゃんが会社の面接で、セーラームーンの緑を選んできた過去について、切々と独白するシーン。
喪服ちゃんの、あの壮絶な「素の露出」に対して、右端にいる面接官の男性が受け止めようと反応したシーンを、僕は凄く良いなあと思って見ていました。
誰にも届かなくとも、ギリギリまで追いつめられ、絶望した気持ちの中で自然に漏れてしまった、そんな喪服ちゃんの独白。
その言葉を聴こうとする他者がいてくれることで、喪服ちゃんの独白の言葉は独白ではなく、対話の言葉になりそうになる。
そして、喪服ちゃんの底に秘められていた拘りが、対話によって解きほぐれそうになる。
…でも、最終面接を喪服ちゃんはすっぽかし、喪服ちゃんがその会社で働いていく展開は、雲散霧消してしまいます。
切ない。あまりにも切ない。
あの端っこにいた面接官の男性と、喪服ちゃんとが、面接の後に再度出会い、さらに対話していく場面を、僕は見たかったです。
あの男性にどういう背景があり、どんな内面の変化があって、喪服ちゃんの言葉を聴きたいと感じたのか。それが明らかになる瞬間を、ぜひ見てみたかった。