痴漢をめぐる論点(ツイッターより)③

前回の記事の続きです。

 

  • 痴漢被害を誰にも相談できないこと

昨日から興味深く拝読。十代で就職、いかにもな田舎娘だったので、通勤でよくオジサンに威嚇されて被害にあってました。同年代の友達もいなかったので、会社で困って相談すると「は、自慢?」みたいな空気になり、結局、黙っちゃってたなあ……とか思い出してましたー。

 

「は、自慢?」みたいな反応…。この「嫉妬問題」は超デリケートだと感じます。

 

こういう反応が予想できるから、自らの被害の事実を、誰かに伝えることを躊躇してしまう。

 

 

 

 

 

思い出すのは、杉田俊介さんの、次の記述。

 

杉田さんは、ある文章を書く中で、杉田さん自身が「微妙な形で性暴力を受けたことがある」事実を思い出しています。ただその事実は…。

 

当時それを殆ど人に話していない。ある友人から「よかったじゃん、かわいい人?」と言われてからは、特に。(ちなみに、その記憶を辿る時ぼくが今も思い出すのは、同じ頃、ある親しい女性から「自分のことを好きだというクラス男の子から、サークルのボックス中を追いかけられた、怖かった」という話を聞いた時、「でもモテてよかったじゃん」と反射的に答えてしまい、その人を「そっか、伝わらないのか、そっか……」とひどくガッカリさせたこと)(杉田俊介「性暴力についてのノート」『フリーターズフリー vol.02』

 

…なお、杉田さんは、この自らが受けた「微妙」な「性暴力」の経験を、「女性に対するいやな無力さ―しかもその中にそこはかとない快楽があった」とも述べています。

 

  

誰もが、性的対象として見られることからは、逃れられない。モテ競争からは、無関係でいることができない。とりわけ杉田さんの場合は、ヘテロ男性として、「非モテ」の悩みを抱えていた…。

 

モテ競争に負けている劣等感があるからこそ、痴漢の被害の事実をカミングアウトされたとしても、そのままそれを受け止めることができない。嫉妬の感情が邪魔をして、歪んだ情報の受け取り方をしたり、それをおかしなかたちで発信したりしてしまう…。

 

 

性的な対象として扱われた事実を、自分も100%嬉しくない、と思えない(ような気もする…)。こんなモヤモヤ感が、ときに性暴力(なのだろうか…?と迷ってしまうような事態の)被害を受けた側にも生じてしまう*1

 

 

誰にも相談できなくなる理由のひとつに、このようなモヤモヤ感がジャマをしてしまう場合もあるのでしょう。

 

 

 

 

 

 関連して。

 

つい先日読んだ論文、「統合失調症患者に好意を向けられた女性看護師の感情体験」*2(清水隆裕、入江拓、2014年。雑誌『精神看護』2014年11月号所収)。

 

この論文の中では、統合失調症の患者さんに好意を向けられた精神科の女性看護師さんの、インタビューの結果が掲載されています。

 

その語りの中で、そっと、本当にそっと、 

でも、ちょっと(女性として)嬉しい感じもします。

と述べている、語りのローデータがあったりしました。 

 

 

しかしここは本当に複雑で…

(同僚の中には、)何かたぶらかしたんじゃないの?ってそういう方向に行く人もいるんですよね。あなたに隙があるからっていう感じの。そういうふうに思われるのは嫌だった。

 

(ほかの看護師にも好意を向けていると)安心しました。私に落ち度はちょっと少なかったのかなって。

 

(極めて都合の良い、インタビューデータの抜粋の仕方をしています。詳しくは原文をご参照ください)

 

…といった気持ちも吐露されています。

 

看護師さんが置かれてしまう、心理と状況の複雑さと言ったら…!

 

対人援助職の方が陥る、性愛の問題については、また別のテーマとなりますので詳しくは述べませんが…。

 

この論文では、「患者から好意を向けられた精神科女性看護師の体験は、暴力を受けた看護師の体験と酷似していた」という知見を明らかにしています。

 

そして、痴漢の被害に遭った人が、他者にその被害の事実を相談することが難しい状況となることも、看護師さんの置かれる状況と近いものを感じます。

 

 

性的に求められることをめぐる問題。突然その渦中に投げ込まれる人も、その問題を第三者の立場から関わる人も、複雑な語りにくさ・受け取りにくさが生じる。痴漢被害を相談できない背景には、そういう状況があるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

うわー…本当に辛かったでしょう。「痴漢にあった人は、なんでそれをもっと広く訴えないの?」というのは、このように「自慢かよ」あるいは「それ聞いて勃起したわ」などの頓珍漢な答えで、余計に傷つけられる経験があったりするからなんですよね…。 

 

(前略)「痴漢=(現実の犯罪でなく)ポルノ」みたいな発想の人は一部にどうしてもいるので、ズリネタとか笑い話にされてしまうことがある(後略) 

 

痴漢被害を減らすどころか言い出しづらい状況、変えていきたいですね!! RT もの凄く共感します。被害にあっても、お前が悪いと言われるか笑い話にされる事が多く、辛かったのを思い出しました。同性に言っても、自慢かと言われる事もあり、憤る事も。 

 

 

「それ聞いて勃起したわ」って…。思わず絶句してしまいますが…。

 

こう言ってしまう男性の心境を勝手に想像してみたのですが、ふと「もしかしたらその男性にとっては、誉め言葉のつもりで言っているのかもしれないな」なんて思いました*3

 

「あなたがそういうことをされるということを想像すると勃起する」=「あなたに性的魅力を感じている」と言うメッセージになるから。

 

ぐえー、こう書いていても、とにかく全く擁護できんわ…。こういう言葉を返すヤツってどういう神経してんだよ…。

 

 

女性を、性的魅力があると誉めることが、礼儀であると信じている男性は多いし、それが「常識」として蔓延している環境が、現にあると感じます。

 

しかしこの「常識」が、どれほど有害であることか!

 

 

被害に遭ったことの辛さを、誰かに吐露して整理したかったのに、それを茶化されてまともに受け止めてもらえなかったり…。

 

さらに上乗せして性的に消費されたりしたときの、その屈辱! 絶望!

 

 

性に関する話しを、茶化してお茶をにごしてしまう慣習があることや…。

 

性に関する話しになると途端に、「男はオオカミであることが良い(「元気があってよろしい」的な?)」だとか、「女は性的に誉められると嬉しいはず」みたいな常識があることこそ…。

 

深刻な二次被害を蔓延させる温床となっているのかもしれないな、と感じました。

 

 

 

 

 

 

 さて。 

 

この三回分の記事の内容を踏まえたうえで…。

 

「痴漢の被害に遭うかもしれない人が、個人的にはどのような対策を講じるのが良いのか」

 

そして、個人的な対策のみならず、「社会的にはどのような対策が必要なのか」

 

これらの点について、金田さんのツイートを基点にして、引き続き考えていきたいと思います。

 

 

 

ということで、(おそらく)続きます。

*1:ここは、痴漢被害のことを言っているのではないことに注意してください(紛らわしくて、すみません)。このモヤモヤ感が生ずるのは、あくまでも、「性暴力(なのだろうか…?と迷ってしまうような事態の)被害を受けた」場合の話しです。痴漢に遭ったときは、「ちょっとは嬉しい」だとか、そんなふうにはとても思えないはずです。前回までの記事で、「嗜虐欲に基づく痴漢」について散々触れたので、想像できるはずです。そんな痴漢被害を受けて、嬉しいと思うはずはありません(嗜虐欲に基づく痴漢被害にあっても、それが嬉しいと感じてしまうような人は、自分のことを傷つけたいと願ってしまう、自己否定感が強い状態の人なのだと思います。そういう人に対してだって絶対に、性暴力がなされてはいけないはずです)。杉田さんの例や、患者さんから恋愛感情を向けられた看護師さんの例を挙げたのは、あくまでも、相談をしようとすると周囲から嫉妬されてしまう状況を考えるためです。痴漢被害の場合、被害者が嬉しいと思うことなどは、全くありえないと想定した方が良いと思っています。

*2:この論文は面白かったのですが、清水隆裕さんの「この研究をした動機」の中にある意見は、批判されなければならないと思いました。清水さんは「看護師の今後のために大切なこと」として、「偏見や弱さがあったら愛せないのではなく、偏見や弱さをもつ自分を受け入れ、なお愛を捧げられるという、自分自身の能動性・姿勢・構えが問われているのだと思います」と述べています。この言葉を言い切る前に、性愛の問題を考える地点でもう少し踏みとどまり、性愛の問題の渦中に置かれた看護師の、その感情労働過程とは、いったいどういうものであるのかについて、もっと粘り強い考察を行おうとする姿勢が必要だと思う。入江さんもそうですが、何よりまず、男性と女性との身体的な非対称性などの問題等を、本気で踏まえて論じているようには、とても思えませんでした

*3:考えすぎか? 下半身でしかものを考えられない、筋金入りのただのバカか?